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中近現代アレコレ平和祈念探方――広島・宮島行 Aug.12-15 2007
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第十六章 「街を行く」
最終日は、新幹線の時間のこともあるので、とりあえず市街地でうろうろして時間を過ごすことに。というのも朝から晩までアチコチに行って、市街地は夜の顔しか
知らないのですね。だから気分は「龍が如く」、眠らない街どころか「朝が来ない街」神室町みたいに見ていたのですが、やはり日中帯はそれなりに賑わい、色々なお店も
やっていて、ちょっと広島市の雰囲気を感じ取ることができました。
で、とりあえず知らない街に来たらゲーセンに行ってみたい、というのが人情でして、「雷電W」や、あれほどやらないと啖呵を切った「むちむちポーク」といった、
盛岡市ではまず見かけない最新STGをプレイして、コテンパンにやられた次第なのですが、この日は「シューティング技能検定2007」をプレイ。
以前、恥も外聞も捨てて自社のソフトをアピールし、それが功を奏して結構がんばってる「シューティングラブ」トライアングルサービス社の、最新ゲームですね。
わざわざ私が語ることもないのでしょうが、一応ね。えーと、基本的には避け方とか連射力とか、シューティングに必要な能力をいくつかのミニゲームのようなもので
試験し、その結果を最後にまとめてレーダーチャートであらわし、さらにシューティング年齢というのまでたたき出してくれるというものです。
シューティングラブはそうなのですが、実はそれほど連射が得意ではなく、結構アヤシイ技量の犬神、果たしてどこまで食い込めるのか。コイン投入、スタート。
……(ナイスボム!)……
……(バカヤロー)……
……(がんば連射)……
……ハアハア……どうやら一通り終わったようです。そしてその結果といえば、まあそれほど芳しくなく、何よりもショックだったのはシューティング年齢が実年齢
+8くらいだったと言うことです。ゲゲッ。もっとがんばらなければ……。
(※ 先日、盛岡にも入っていたのでやって来ましたが、そうすると今度は実年齢−3と大健闘。店の偏差値によって年齢が変わってくるのでは? という気もしましたが、
まあともかくそんな感じです)
第十七章 「広島名物食い道楽・ファイナル」
中途半端な精神主義を求めるよりは、無粋のきわみと言われようと、王道を押し通す。要するにオミヤゲは饅頭であり、有名なものはすべて食べてみたい! といった
気持ちであって、これがテレビ番組じゃなくて私個人の体験でよかったなと。
岩手県、特に盛岡市と言えば冷麺とかわんこそばですが、広島と言えばお好み焼き、そしてつけ麺であると言います。お好み焼きは初日に大量にゴチになったので、
最終日はつけ麺だろう、ということで、広島でも有名なお店「つけめん本舗 ばくだん屋」にていただくことに。
とにかく辛くてうまい麺つゆがウリのようで、倍率は3桁まで上るそうですが、元々それほど辛いものが得意でないこの犬神、そんなものを食べてしまえば無事では
すみません。そのため虚勢を張ることもなく、とりあえずスタンダードな2倍掛けで食べることに。
そうしたところ、これがまた2倍でも辛く……ただ、いわゆる「辛いだけ」ではなく、「うまい」もので、ズルズルズルズルと一気に食べてしまいました。なるほど、
これはすごい。何がすごいって、辛いものがそれほど得意でない私も辛さを楽しみつつうまいうまいと食べられるのがすごい。
驚異的に辛いものが好きな人は際限なく倍率を上げていけばいいですし、反対に苦手ならば辛味を一切混ぜないメニューもあるようなので、まさに万人向け。見栄を
張らずに素直にズルズル食べれば、十二分に堪能できると思われます。
第十八章 「オミヤゲ・センス」
その昔、モダンチョキチョキズという人たちの歌で「博多の女」というのがありました。いわゆる日本の土産物のハイ・スタンダード「まんじゅう」の歌です。
博多に行った友達が「博多の女」というまんじゅうを買ってきて、横浜に行った友達が「横浜の女」というまんじゅうを買ってきて、ハワイに行った人が「ハワイの女」
というまんじゅうを買ってきて、エジプトに行った人が「エジプトの女」というまんじゅうを買ってきた。
そうしたところ結局4つとも同じ味だった、形も同じだった、包み紙だけバラバラ。まんじゅうにアイデンティティは、オリジナリティは、イマジネーションは
いらないのか……という歌です。
私はこの歌が大好きで、大好きなものだから逆にお土産を買う時は必ずまんじゅうを見ます。こち亀でも南の島帰りの両さんが、部長が派出所の人たちのお土産に
まんじゅうを買ってきた時もそのことを批評していましたが、裏の裏は表ってわけで、あえてまんじゅうを買っていく……。
と思っていたのですが、今では単純に甘いものが大好きだからです。ましてや「もみじ饅頭」といえば、それなりに歴史もあるお菓子。
先ほど伊藤博文のちょっとアレな解釈もできる「少女の手焼き」発言から始まったその成り立ちも、ここ数年で突然出てきたあまたのお菓子とはワケが違う。じゃあ、
これしかないだろう、つって、主に自分たちで食べるために購入。
一応あんこ、それもこしあんのもみじ饅頭が好きなのですが、チーズが入ってたりチョコレートが入っていたりと、変り種の(というか、すでに別な商品名の?)
ものもあったので、それらも少々含めて数個。ただし消費の方はやや遅れ、結局すべて食べたのは今月(10月)に入ってからでした。
あとは、一冊、漫画を買いました。天野こずえ「AQUA」2巻です。
これ自体はまあ、全国どこにでもあるブレイドコミックスです。ただ私個人にとっては、その一冊は「あの日あの時あの場所で」君に出会わなければ……じゃなくて、
まあともかく、本を手にするたびにその時のことを思い起こすスイッチとなるのですね。
そういうわけで、旅行中に読んだ本はどれもこれも特別な思い入れを、割と積極的に入れ込んでいます。「お前の話はクルマばかり」や「スピリッツ」や「私は加護女」
もそうでした。私以外の人にとっては、ごくありふれた一冊のコミックでしかないのでしょうが、私にとってはこの旅行を忘れないための大切な鍵と言えましょう。
そして手荷物と数冊の漫画を抱え込んで、再び新幹線へ。実際的には岩手に戻るので本来は余裕の帰省なはずなのですが、何せ大阪・名古屋・東京を
またいで来ているのだから、すさまじい人ごみの中、立錐の余地はあれど座る余地のないまま再びあるべき場所へ戻るのでした。
終章 「私の宇宙」
旅行から帰ってくる時に振り返ると、帰るのがつらくなるので、いつも帰った後の現実を考えます。名残惜しい気持ちをスッパリ切り捨てる努力。その代わり完全に
元の生活に戻った時、少しでも細かく、その旅行のことを思い出し、言葉にしていく。そうやって言葉にすることで、邪魔な気持ちは削ぎ落とされ、その時の景色と
感想だけが、ずっと定着する。
200枚前後の写真を撮りまくり、2ヵ月もかけて文章を書いていて、「つまり、そういうことなのだな」と考えているところです。
じつに20数年生きてきて、それなりに色々なことを知り、何とか日々を生きているところですが、それでもやはり見えないことの方が多いわけで、そういう時は素直に
フムフムと感動する。そういう風に生きていかなければならないな、と思うのですね。
ただ、そうは思っても自分から知らないところに飛び込む機会もなければ感動することもないし、世界も広がらない。半径5センチか、20メートルか、3キロか。
まあ、私の場合はよくても1.2キロ程度でしょう。ともかく私の世界もまた極端に狭く、そのくせなかなか広げるチャンスを見逃して来たものだから(「めぐってこない」
わけではなく)、その狭い世界を生きてきた次第です。
今回の旅行は、夏の暑さに歴史の重さ、でもって食物のうまさに私という人間の不器用さと、色々なことを痛感しました。特に人付き合いの苦手っぷりは、社会人を
3年以上こなした割にはそれほど克服されておらず、できるだけ上手に接しようと思ったのですが、それが成功したとは思えません。やはり、その……えっと……。
まあ、不器用ですみません。にもかかわらず何かとよくして頂き、大分時間が経った今でもどうやってそれに報いたらいいのか? と思い、結局考えがまとまらずに
そのうち考えるのをやめた――となっているところですが、いつもそういう気持ちで生きています。ということをアピール。
今度は、もっと、ちゃんとお話しもできればいいなとは思っているのですが、たぶん難しいのかな。とにかくスミマセンが、また何かの際にはよろしくお願いします。
ここまできちんとした文章で旅行記を書くのは初めてなので、今回はこれくらいにしておきます。とにかく、すばらしい旅行でした。時間が経った今だからこそ、
そう言えるような気がします。
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