中近現代アレコレ平和祈念探方――広島・宮島行 Aug.12-15 2007 
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 第四章 「海ゆかば」

 我が県の海というのは、リアス式海岸、浄土のごとき景観、等々、いわゆる風光明媚なところが多いわけで、今回行った呉市のような港湾都市というか、でかい船が 行ったり来たりするだけではなく実際に船を作ったりもする場所というのは、今まで見たことがありませんでした。釜石がそれに近いのかもしれませんが、やはり規模が ちょっとアレですしね。

 というこのテキストを書きながら、Wikipedia等で色々と知識を補完しているところですが、重要港湾 というのに指定されているそうですね。ああ、そりゃやっぱり岩手なんか足元にも及ばないや。などと思っていたら岩手にも宮古・釜石・久慈などが指定されているようで、あんまり負けてないな。 いや、そもそも勝負じゃないし。

 そして呉市海事歴史科学館……要するに「大和ミュージアム」ですね。

 大和。長門が好きという私も、武蔵が好きという人も、ミズーリがビスマルクがキングジョージ5世が好きだという人……はどうかわかりませんが、ともかく日本人に とってこの言葉を聞いてイメージするところは「でかい」「戦艦」というところで、ほぼハズレていないでしょう。

 言うまでもなく世界最大・最強(というとアレコレ違う意見が出てくるかと思われますが、単発での破壊力は文句なく最強でしょ?)の軍艦ですね。館内にはその大和の スケールモデルが展示されており、比率1/10のそれは吹き抜けのフロアの上から見ないと全体像を把握できないほど。例によって同行の方を差し置いて撮って撮って とりまくり、あっという間にフイルムは尽きてしまいました。

 あとは人間魚雷と称される有人誘導魚雷「回天」やいわゆる「ゼロ戦」零式艦上戦闘機(62型)などが展示されていました。もちろん初めて見ました。現代の戦闘機 ならばとりあえず見たことがありますが、零戦は……かっこいいですね。「ノルナ」「サワルナ」とかとフラップにカタカナで書いているのがまた面白いですね。

 「回天」の潜望鏡(とは言わないらしいのですが)も覗くことも出来ました。いわゆる遠くを見るものではないそうで、それほど大きくは見えませんでした。

 また展示室では、呉港の歴史といったものを知ることが出来ました。明治維新の頃からどんどん発展して、工業が盛んに行われ、そのために何度も空襲に遭い、それ でも培われた技術は現在に生かされ……という、モノづくりにこれっぽっちも携わったことのない犬神にとっては、恐らく一生かかっても追いつけないテクノロジーの すばらしさを感じることが出来ました。

 そのあと「子ども科学館」ばりの体験しながら船の仕組みを知るコーナーを経て、ついに宇宙へと飛び立ちます。え? それって「やまと」違いじゃ……。とも思いましたが、 まあ非常にためになる場所でして。隕石が見た目よりも重たかったり、船外活動服を着ることができる(ように見える)ところがあったり。しかしながら、やはり大和 ミュージアムというか松本零土ミュージアムといった方がしっくり来るようなところではありました。

 企画展は「宇宙への旅立ち」。常設展のヘヴィな感じではなく、どちらかというとサイバーな感じがする、何やら私が「未来」と思っていたことは、割と最近通過した ところなのかな、と思わせるところでした。

 別な言い方をすれば、より現実的に、「宇宙での生活」について知ることが出来た、といったところでしょうか。何を食べ、どうやって出し、何をして、どうやって 寝るのか。実際に私が宇宙に行くことができるかどうかはわかりませんが、案外、生きられるようですね(当たり前だ)。ちなみに宇宙では寝返りを打たなくていいそう です。いいなぁ……って、そこなのか。

  第五章 「大きいことは……」

 海上自衛隊呉史料館――「てつのくじら館」は長蛇の列でした。どうやら後に控えているビッグイベントのために並んでいるようですが、ともあれそのおかげか?  第一展示室の「海上自衛隊の歴史」をじっくり見ることが出来ました。警察予備隊が自衛隊になって……というのは、まあ教科書で習ったとおりなのですが、やはり 教科書ではわからない詳細ないきさつや成り立ち、そして今の呉港というものも知ることが出来ました。

 2階は海上自衛隊のイージス艦……ではなく「掃海艇」について。

 奇しくも最近、私は掃海艇について興味を持っていました。それまでは戦艦→イージス艦であって、掃海艇? 何それ? って感じだったのですが、うーん、何が きっかけだったんだろう……戦後に、散々ばらまかれた水雷を取り除くために一生懸命当時の人ががんばってきた、その中では触雷して犠牲になった人もいた、という 話を見たんですよね。

 こういうこともあるんだ。――と、ひどく感動した覚えがあります。

 よりいっそう、今回の展示を見て強く感動しました。掃海とは何か。機雷とは何か。戦争が終わった後、どうやって掃海に携わった人々がやってきたのか。

 最終的には人が機雷を解体していた、というのは少しく驚きでした。じゃあ他にどうするんだよ、という話になるわけですが、それでも水中でそんな解体作業をする、 というのは地上で解体する以上のプレッシャーを伴うわけでして、つくづく海の男というのはタフなものだと思いました。私も陸の上で、ちょっとしたことでヒィヒィ 言ってる場合じゃないなと。

 あとは、ニコンのF3がありましたね。やっぱりニコンかー。あの時ニコンF60にして置けばよかったかな……なんて、そんなことはどうでもいいです。ニコンは NASAでも使われたし、そういう方面で実績があるのはよくわかってますのでね。

 3Fは「潜水艦」。はみだし海軍の主人公ならばものすごく毛嫌いすることでしょうが、実際の戦いにおいてやはり潜水艦というのは、最も威力を発揮するものなの ではないでしょうか。目に見えないし、気づかれない。その気づかれないところからいきなり魚雷を撃たれて、気が付いた時には命中しているというのは、やはり何よりも 恐いものですね。

 日本海軍には伊号を初めとする世界水準の潜水艦がいっぱいありましたが、現在のそれは米軍から輸入(レンタル)されたミンゴという名前の潜水艦をベースに 作られているそうですね。 ちなみにこれは「おやしお」と名づけられ、計器はすべて英語でした(当たり前だ)。

 潜水艦といえば「沈黙の艦隊」あたりなのでしょうが、「原潜すげぇ」ぐらいにしか覚えていないため、実際に潜水艦の人たちがどういう生活を送っていたのか、 当然ながら私に知識はありませんでした。せいぜい水上を行く船ぐらいですよね。テレビで見た知識。

 ……で、潜水艦なんですが、基本的には昼も夜もないわけですよね。しかも時間は6時間単位で動くし、これはどうしてもその潜水艦の乗組員にならないと無理 ですよね。一応、水上で夜の時間は赤いランプがついて夜「っぽく」なることはなるそうなのですが、やはり潜水艦の中の時間は別なものと考えた方がよさそうです。

 また限られたスペースを使うため、椅子の下に食材がしまわれていたりと、これっぽっちの無駄もなく使われているのに感心しました。ミサワホームの収納なんて 思わず「ハッ」と笑ってしまいそうなくらいです。いやそもそも比べるのがどうかと。

 あとは、まあ「潜水艦なんだから当たり前だろ」と理屈ではわかるものの、リアルな感触として改めてわかったことが「真水は貴重」ということですよね。シャワーも 節約。トイレも節約(たぶん)。寝る場所も省スペースで、2m弱の高さのところに3段ベッド。1番上はちょっと天井が狭くて、相当寝づらそうに見えました。もちろん それなりにタフな人々が寝るのだから、十分なのかもしれませんが……。

 そして3階は、実際に使われていた潜水艦「あきしお」の中に入れるというレア体験なコーナーです。何を隠そう岩手日報にもドカンと写真が載るくらい有名なプレース のようで、この日もたくさんの人々が列をなして潜水艦に乗り込んでいました。浦安の某テーマパーク並みの盛況振りでしょうか。もっとも、向こうとこちらでは真逆の コンセプトであるといえましょうが。

潜水艦の中というのが、やたら狭くて、その狭い中にみちみちと機能的なものが詰まっている、というのはここまでの展示でよく理解したところですが、「体感」となると またワケが違ってくるわけでして、歩くのも首を振るのも気をつけなければならないくらい狭いところでした。つくづく潜水艦搭乗員が身に付けるドルフィンマークとは、 何よりも誇りであります。

 第六章 「昔の栄華は今もなお」

   このテキストを書いているのは当然、旅行後のことなのですが、昨日釜石港に行ってきました。ついでに言うと後述する原爆ドームや何やと対抗する釜石大観音にも 行ってきたのですが(詳細はこちら)、釜石は残念ながら斜陽の街ですね。もちろん今でも鉄工所があり、 それなりに産業しているのですが、「昔はもっとすごかった」そうです。釜石大観音も妙に寂れていたのですが、「今よりも盛っていた時代があった」というのは、 どうしようもない事実なようです。

 対して呉は、そもそも昔から造船所があったくらいだから、そりゃ盛ってますよ。はるか彼方を眺めれば「大和のふるさと」と大書きされたドックがありますし、 とてつもなく巨大なタンカーが停泊していました。さらにそのまた向こう側には、自衛隊の船も見えました。

 ミュージアムから少し海の方に向かうと、大和の甲板(の左半分)をリアルスケールで再現した公園がありました。そこにはかの46センチ砲が(地面に絵として) あったり、艦橋が(小高い休息所として)あったり、スケールモデルで細部の精密さを眺めたあとには実際の物理的な大きさを感じることができるなど、船好きには 何から何までたまらない場所となっています。外側から見たさっきの潜水艦もインパクト大で、大勢の人々に混じって私も写真を撮ってきました。

 しばしば日記で書いているのですが、内陸育ちの山在住である犬神は海というのが大好きで、たぶん潜在意識の深いところに何か強烈なものがあるんじゃないかと いうくらいなんですが、いいですね、海。とにかく海の写真を何枚も撮りました。

 ただ海。水平線。時々船。何というわけでもない島が浮かぶだけ。

 そんなの、どこが楽しいの?

 そういう意見もごもっともであると思います。しかしながら先に申し上げたとおり、私にも説明がつかないのです。ただ、とにかく海が好きで、あと一歩で「好き」 以上の何かを感じるところまでたどり着いてしまいそうなくらい好きでして。まあとにかく、私は海が好きと、ちょっと言い過ぎるくらいですが、それくらいしか言葉が なくなってしまうくらい感じるところがありました。これは翌日、宮島へ行くことでまた新たな感動となるわけですが、それはひとまず置いといて。

 香港料理店で「海軍チャーハン」を食らい、中心街へ。そこで少し時間があったので、予定を前倒しして市内にある名所を見ることにしました。

 名所というか、なんと言うか。

 今もなお62年前の跡が残っている(ように見えた)街のモニュメントの中でも、もっとも象徴的なもの。

 原爆ドームへ。


 つづく。

 もどる。