マンガしかなかった生涯――つりたくにこ 『フライト つりたくにこ作品集』論





 1.新たなる『伝説』に触れる――出会い編


 『復刊ドットコム』というサイトがあります。私もここの会員です。最初は故・方倉陽二先生の『のんきくん』完全版を! という思いからでした (現在は小学館ぴっかぴかコミックスにて復刊)。

 で、登録しているメールアドレスには、自分が復刊希望を出している書籍に投票があった時のほか、新しい復刊情報があると 色々教えてくれます。

 以前レビューを書いた『エリノア』なんかは、まさにそのメールで知りました。1966年というと、無論私は生まれていません。しかも少女マンガ。ましてや雑誌の 新人賞に一回載ったきり。本来であれば絶対に触れることのない作品でしたが、『幻の作品』としきりに煽る文章にほだされ、ついつい注文しました。そしてどうなったか。 こんな感じでした。


 この『つりたくにこ作品集 フライト』も、そんな復刊ドットコムからのメールと、その中に踊る煽り文句に惹かれて買いました。紹介メールをそのまま引用すると、
 
高校生にして、創刊間もない『ガロ』からデビューを果たし、その後、 60年代〜70年代を彗星のごとく駆け抜け、最後は不治の難病SLE(全身性 エリテマトーデス)によって37歳の若さでその短い生涯を終えた伝説の少女漫画家つりたくにこ。

時代風俗を巧みに捉えた、観念的かつ独創性ある作風で漫画界に多大な影響 を与えたにも関わらず、2001年に刊行された作品集(部数限定出版)以後は 入手困難な状態が続いていて、往年の漫画ファンの間では伝説の存在とも なっていました。

本書『フライト つりたくにこ作品集』では、そんな彼女のデビュー作から 最晩年の作品群までを一気に収録しており、彼女の軌跡を追うためには必須 となりそう。つりたくにこの漫画への思いを凝縮した、いま話題の1冊を ぜひ手に入れて下さい!
 
 てな具合でね。そこまで言うのなら、ってわけではありませんが、ともあれ読んでみないとイイともダメとも言えんよな。そう思って注文しました。

 手元に届いた本のオビには「朝ドラ『ゲゲゲ』で話題に?」という言葉がありました。言うまでもなく『ゲゲゲの女房』のことでしょう。実際、この文章を書くに当たり 出版元の青林工藝舎の編集者さんのブログを読むと「100%ドラマの便乗企画」であると言っちゃってました。そ、そうだったんですか!? (※1
 
 ドラマの方はあまり詳しくないけれど、アレか、アッキーナが演じていた子のモデルがこの人なのかな。ってことはドラマの中で アッキーナも同じように夭折するのか。それにしても『仮面ライダー電王』の時と同じように、なんか浮いて見えるな(関係ない)。

 なんて、そんなことを思いながらしばらく置いといて、今年の夏に弟者らと旅行に行った際、真夏の太陽が容赦なく照りつける秋田港の埠頭で読んだのでした (参照)。もっとも、そんな私のイメージが大きなマチガイであることを、 後に知ることになったのですが……それは後述します。


 2.心地よき60〜70年代ノンセンス――感想その1


 物語が書かれた1960年代〜70年代という時代。さらに掲載誌が『ガロ』。それに対して私は1981年生まれで、『ワンピース』とか普通のマンガを夢中になって読む 普通の男性。……そんな人間がパッと読んで、いきなり入り込めるはずがないんですよね。

 「へえー、こういうマンガを描く人なんだ」

 それが第一印象。面白くもなんともない、ただ絵とネームを眺める。それだけでした。

 もっとも、これはごく最初のうちだけでした。これでもかつて(2000年ごろ)は『ガロ』を買って読んでいたこともありますし、つげ義春なんかは今でも大好きな 作家。読み進めていくうちに少しずつその頃の私が蘇えり、世界に引き込まれていったのでした。

 かつて刊行された単行本の表題作にもなった『六の宮姫子の悲劇』で不思議な魅力に絡め取られたかと思うと『栄光への脱出』『狂人日記』の連作で ゾクゾクするような狂気の世界に震え、最後に『マダム・ハルコ』で上を下への大騒ぎ、本気と狂気、センスとノンセンスのあわいをあっちにフラフラ、 こっちにフラフラ……リアルタイムでは知らない当時の空気を吸い込み、心地よい気分ですっかり酩酊してしまったのです。


 3.忍び寄る影、つきまとう闇――感想その2


 そんな感じで読み進めていたのですが、次の『音』あたりから、少しずつマンガの中にも暗い影が付きまとうように見えました。

 それまでは怖い中にも乾いた笑いがあって、割と気軽に読めていたのですが、この『音』はそういうのがまったくない。透明人間なら見えないだけで 実体はそこにあるのだからまだいいですが、こちらはそれさえ奪われ、「そこにいる」ということを証明するには自ら声を発するしかなく、そうすることに疲れて しまったら、もう生きているのか死んでいるのか……というよりも「そこにいる」ことすらわからなくなってしまう。

 これは今読み返して感じたことですが、本当に怖いです。「自分には居場所がない」と言って落ち込むことはありましたが、「居場所がない自分がそこにいる」 ことを認識できるから、まだよかったのかもしれません。そう思うことさえ出来なくなったら、どうなるんだろう。……まあ、こうなるんでしょうね。初めから いなかったことになってしまう。

 あとは、死とか破滅とか虚無とか。あらゆる言葉や生命力が意味を持たず、砂のようにサラサラと崩れ落ちてしまうような、陰鬱な世界のマンガが展開されます。  『憂子の日々』なんかは、もうつりたくにこさん自身にしか見えません。入院生活、高熱の苦しみ、医者が語る『エリマトーデス(ママ)』という言葉。

 もちろん、これは2010年、つりたくにこという人の生涯とか、そういうのを知った上で言う言葉です。当時『ガロ』を読んでいた一般の人は知らないことでしょう。

 ただ、もう私はつりたくにこさんが全身性エリテマトーデスという病気で37歳の時に亡くなったことを知ってしまったのだから、それを修正することは出来ません。 そういうイメージで読むしかないのです。


 4.そして星になる――感想その3


 『R(アール)』『海蛇と北斗七星』は80年代に入ってから公開された作品ですが、実際に書かれたのはそれ以前であるといいます(1972年にご主人と学生時代 からの友人・藤野孝子さんに手渡された絵本のリメイクだそうです)。どちらも非常に悲しい結末ですが、『海蛇と北斗七星』の方は『エリノア』や『人魚姫』にも似たような、幸せな 中での死があるのかな、と思いました。だとしたら、まだそれは救いなのかな、って。

 そして最後に収録されたのが表題作であり、ヤングジャンプの青年漫画大賞にて佳作を受賞した『フライト』。これはそれまでのようなシュール、ノンセンス、暗い影……などなど、 「ガロっぽい」雰囲気はなく、ひたすら素直にSF的な純愛物語です。そして救いがあります。これは先述したような「幸せな死」とか、そういうものではなく、 もっと直截なものです。だからきっと、ヤングジャンプにも掲載されたのでしょう。

 もっとも、この頃はもう病気が大分進行していて、ペンを握る力もほとんどなかったといいます。この作品が掲載された2年後の1982年以降はもうマンガを描くことが 出来ないようになり、1985年に37年の生涯を閉じます。

 巻末には年譜、それと解説が載っています。その中には当時の雑誌に掲載された写真などもたくさん収録されています。


 5.「河合はるこ≠つりたくにこ」――『ゲゲゲの女房』とつりたくにこさんについて


 今回こうも長々と文章を書いたのは、もちろん大好きなマンガだからという気持ちもあるのですが、冒頭にも書いたように「つりたくにこ」さんという人のことを、 もっとちゃんと理解して、それを形にしたいと思ったからです。

 まず、流行語大賞にもなった『ゲゲゲの女房』にてアッキーナが演じていたのがそのまま「つりたくにこ」だと思っていたのですが、そうではないのですね(役名は 『河合はるこ』)。さらに言えば河合はるこは別に「つりたくにこ」をモデルにしたわけではなく……。

 出版元の青林工藝舎の編集者さんはズバリ『つりたくにこ=つりたくにこ』である、と断言しています(※2)。


 こんな当たり前のことをわざわざ書かなければいけないほど、ネット世界ではふたりがイコールで結ばれていて(確かにそんな感じで書いているブログもたくさん ありました)、しかも自分の言葉が間違った理論を補強するために勝手に使われている……軽い悪夢のようである……とは先述の編集者さんの言葉。

 それはそうでしょう。

 ドラマ内で描写されていた先述のエピソード、そして「私には時間が ないんです」という言葉。何となく雰囲気が似てます。イメージも近くなっちゃうでしょう。イコールではないと自覚している今でも、若干アッキーナこと河合はるこ (逆だ)のイメージもまじってしまいます。

 でも、訳知り顔でそこを混同しちゃったら、つりたさんにも『ゲゲゲの女房』の脚本家さんにも失礼な話です。違うことは違う。それはちゃんと書いておかないとダメですよ。

 そこで義憤に駆られて、って私には別に義理も何もないのですが(笑)、一応ファンの端くれとして、そこはちゃんとしておきたいなと思ったのです。自分のように 新しい「つりたくにこ」ファンが、正しい情報に基づいて好きになるべきである、とね。


 6.北斗七星を見上げるように――つりたくにこさんへの思い


 不治の病といわれた(注・gooヘルスケアによれば、今は90パーセント以上の人が日常生活を送れるようになるまで回復するそうです)難病SLEにかかったことは 不幸だったと思います。ついでにドラマであらぬ噂をネット世界で立てられたことも不幸だと思います。出来ればつりたさんが生きているうちに出会いたかった、なんて 思ってもみました。

 まあ、これは『エリノア』の時も同じように書きましたが、そんなことを言っても仕方ありませんよね。この際きっかけはなんだっていいのです。大切なのは作品集を 読んで、今こうして文章を書きながら何度も読み返して、ついでにアレコレとインターネットで情報を調べて、さらに理解を深めて。そして少しずつ少しずつ「つりたファン」 になったという現在。それが何よりも大事なのだから。


 そんなこんなで、継ぎ足し継ぎたし書いているうちにマンガのことだけじゃなくてつりたくにこさん自身のことも書いてしまいました。そのためやたら長くてわかりづらい 文章になっちゃったかな、という気もしますが……でも、そのくらい好きなのでね。あえて書かせていただきました。

 文章を書くに当たっては巻末の解説のほか、青林工藝舎さんのブログと、ネット世界でいち早くつりたくにこさんの情報をWeb公開していた「つりたくにこ記念文書館」 さんを参考にさせていただきました。特に後者については、「中途半端な気持ちで向き合ってはイカン!」と、心を入れ替え再び読み返すきっかけとなった、 ということを付け加えておきます(※3)。

 定価1785円(税込み)は確かにちょっと高いかもしれません。『ゲゲゲの女房』の河合はるこのモデルだから、つって買うには二の足を踏むかもしれません(だから 違うって)。

 さらに言えば、これは巻末の解説とか青林工藝舎さんのブログとかでも書かれていますが、ひとつひとつの作品だけを並べると、なんか物足りないような感じがします (ドラマの中の言葉で言えば、『原石』)。 だからこそ、デビュー作から表題作までぶっ通しで読み、さらにしばらく置いてから読み返すと、少しずつ心に染み込んでくるような……そんな感じの一冊でした。 まあ、私の場合これに加えて、初めて読んだ時のシチュエーション(=旅行の思い出)も加わってるから、余計に強くそんな気持ちを感じているのですが。


 





 
 ※1 まあ、きっかけはそうだったって話で、後に思い直していつも通りのアプローチで作った……とのことでした。そう考えるとドラマが放映されなかったら、 再販されることもなく、私も見る機会がなかったわけで、NHKさまさまと言ったところでしょうか(笑)






 
※2 1ヵ月とはいえ水木プロでアシスタントとして働いたというのは事実ですし、上京して間もない頃パンの耳ばかり食べて生活していたというのも実際の エピソードらしいので、河合はるこというキャラクタ成立のヒントにはなっただろう、とは見ているようですが。




 
※3 一応、ご挨拶のメールを送ったのですが、公開されているアドレスに送ったら「現在使われておりません」といった返事が返ってきました。 もしご覧になられたら、ブログか何かにコメントをいただければ嬉しいです。ぜひよろしくお願いします。
 
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