Final day 「別離の章」


 2021年7月29日。私とスバル・インプレッサの日々が終わります。

前回書いたのは2019年……冬道でスリップして接触事故を起こしたときでした。

それから時間が経ち、車検の満了日もあと2か月というところまで迫ってきました。

現在も、私のインプレッサはそれなりに走ります。定期的なオイル交換とかも、ちゃんとやっています。走る分には問題ありません。

走る分には……ね。

それでも私は、もうインプレッサを維持しようとは思いません。希少なマニュアル車というのは確かに楽しかったのですが、いくつか理由があります。今回はそのあたりのことをできるだけ書き出して、インプレッサと「車好きだった自分」へのケジメとしたいと思います。


あれからどうなった


じつはあの後、さらに車を壊しました。

1度目は、会社の駐車場を出てすぐの場所で。その日も積雪・凍結の非常にスリッピーな路面でありました。 さすがに一度ひどい目にあっているので、慎重に走り出したのですが……それでもメンタル的に非常に荒れていて、公道に出て最初のターンをした時に大きく滑り出し、左後ろのバンパーをガードレールにゴッツンしてしまったのです。
 20キロも出ていなかったんじゃないかな。だから多少、運転がラフになっていたのかもしれません。とにかくカーブを曲がるときにズルズルッと滑り出し、慌ててハンドルを切り返したらさらに揺り返して半ばコントロール不能になり、結局ガードレールにぶつけて停止……そんな感じです。
 
 それを応急的にゴリラテープで補修していたのですが、さらにそのあと……。
 
 今度は運転技術とか何とかというよりも、完全に私のケアレスミスです。端的に言うと、道路沿いにある施設にフロントから入り、用事を済ませてバックで出るときに、何というのか――歩道と車道を隔てるコンクリートブロック、ありますよね。当然、施設の駐車場のところは一段低くなっているのですが、ハンドルを切り損ねた私、左後輪の泥除けをコンクリートブロックにひっかけて、バキバキバキッと破壊してしまったのです。
 
 インプレッサの泥除けは樹脂製で、リアバンパーと一体化しているものですから、それによって傷口はさらに悪化。もはや左後輪まわりのバンパーを固定する部品は何もなくなってしまいました。おかげで高速道路は走れません。というか本来であれば、即時修理工場に持っていくべき損壊ぶりです。アッシー交換です。
 
 
 ……まあ、これが3年前の、ずっと「マニュアル+4WD+セダン」というパッケージにあこがれていた、純粋車好きの頃の私であれば、たといどれほどお金がかかろうとも修理して乗り続ける! と思っていたはずですが、今ではそういう気持ちがまったく起こりません。
 もはや今の私は、以前のような「車好き」ではないのです。そうなってしまったのです。


「プリミティブな乗り物」の楽しみ


この3年で大きく変わったことといえば、そうオートバイの免許を取ったことです。そして最初の(そして現在の)愛車であるカワサキD−TRACKERは、125ccクラスのオートバイとしては希少なマニュアル車なんです。

前章でも触れましたが、オートバイに乗り始めた時点で、すでに私の心はインプレッサから離れていました。ことにオートバイという乗り物は、夏は暑いし冬は寒いしスリップしたらほぼ転倒だし転倒したらたいてい無傷じゃすまないし(※)。でも実際に自分で機械を操作する楽しみは、車よりもはるかにシンプルな分、はるかに上です。

この時点で、「乗り物を自分で動かす楽しみ」の大半はオートバイへ移行。インプレッサを出す時というのは天候不順の時か荷物をたくさん運ぶか誰かを乗せていくか……という場合が多くなってきました。

確かに山道を走る時なんかは、オートマチック車よりもはるかに楽しいんですけどね。自分の意志でギアを決めて走ることができるのは、やっぱりマニュアル車の良さだと思います。――でも、それ以外の場合っていうのは、マニュアルでもオートマチックでもあんまり変わらないような気がするのです。要は荷物とか誰かを乗せて、雨風をしのぎながら走ればいいんだ、ってことになって。

ひいては、「もう少し楽をしたい」そんな風に思うようになっていったのです。結局「快適に移動したいから」車に乗ってるんだし――って。


公道〇〇〇キロ そんなバカげた時代はもう終わりだろ


一方で、割と意識的に「自分の心を変えよう」と思ってきたこともあります。

初めてインプレッサを手に入れた時は、スペック的には全然違いますが、WRCラリーカーを手に入れたような気分でした。少なくともインプレッサは、基本的な部分はWRXとかと共通だと聞いていたので、パワーの差が出にくい山道のダウンヒルなら負けないぞ! と意気込んでいたのです。

誰に? とかって正当なツッコミはしないでくださいね。それが車好き、特に「頭文字D」とかに影響を受けまくった系の車好きの考え方なんですから。車もオートバイも、結局、自分が楽しければいいんですから。そのためにカタログだったりマンガだったりを使って、自分の空想を膨らませて、それで満足すればいいんですから。

というわけで、私の職場の近くにある奥入瀬渓流とか、十和田湖を望みつつ秋田県側へと駆け上がったり下ったりする「発荷峠」とかをホームグランドとした私。そりゃあ確かにカーブを曲がる時のアベレージスピードの限界を探ったり、渓流沿いの道路を「今日は何分で走れるか」とタイムトライアルの真似ごとをすることはありましたが、あくまでも制限速度内での話です。深夜の渓流沿い道路で大破していたS14シルビアをわき目に見た日以来、あくまでも安全マージンを確保したうえで走りを楽しむーーそういう感じでした。

それで済めば、よかったのですが。

やっぱり、そういう性格の人間がこういう車に乗っていると、つい無茶をしてしまうんですよね。道路交通法に違反するような無茶。具体的には、速度超過。

過去の記事でも書きましたが、こちらが巡航速度60〜70キロでマイペースに走っていると、それを無理やり(黄色い線を踏み越して)追い抜いていくプリウスとかアルファードとか、果ては軽自動車とかを見かけると、

「カチッ」

と、なってしまうことがあるんですよね。

もちろん直線道路では、勝ち目はありません。こっちは軽量級向こうは重量級。基本的なパワーが違いすぎます。だから相手がカーブで減速するところを、こっちはノーブレーキで突っ込んで差を縮めてみる。そうやって追い立てるようなことを、何度かやったことがありました。

まあ私の場合は、別に抜き返すことまでは、しないんですけどね。基礎体力が違うから、本気で競争すれば分が悪いだろうし、そもそも公道はそういう場所ではありません。直線だけ飛ばしてカーブで大きく減速するような車であれば「なんだ、威勢がいいのは直線だけか」となりますし、稀にいる「差が縮まらない」相手であれば早々に離脱します。そこから先は警察の仕事です。

ちなみに後ろから来た車がスカイラインGT−Rのような「ウデも車も本気っぽい」人であれば、端っこによるか路側帯に止めるかして先に行かせます。ちょっと憧れもあるから。


これはきっと、私の基本的な性格が、いけないんでしょうね。中途半端にそれっぽい車に乗ってるから、「自分だって、やればできるんだ」とコンプレックスの深さの分だけ無理してしまう。そのせいってわけでもないと思いますが、いわゆる「あおり運転」というやつで死にかけたこともありますし。


もうこりごりだ。……結局、私も走り続けることができず、「降りる者」となってしまいました。


 アンダーなのはワタシのウデなんです


今回は、色々と経済的な理由もありますが、それ以上に「もう、これ以上、この車には乗っていたくない」とーー気持ちが消えてしまったことが、決定的な理由だと思います。

やはり、私の場合はある程度車の方のアシストがないと、乗りこなせなかったみたいです。

これは何度も冬道を走って、怖い思いをして、以前乗っていたファミリアS−wagon(通称ファミ子)との違いに戸惑いながらたどり着いた結論です。

私のインプレッサの4WDは「ビスカスLSD付センターデフ方式AWD」で、ファミ子の方は「ロータリーブレードカップリング式4WD」……これはマツダだからロータリーってうたっているわけじゃなく、この部品そのものが、そういう名前なんです……となっています。要するに「いつでも前後50:50の力でタイヤを転がしている」か「普段は前輪だけで走っているけど、後輪がスリップしたら後輪にもパワーを伝える」違いです。

実際のところ、ファミ子でも同じように八甲田の雪道を爆走しましたが、怖い思いをしたことは一度もありませんでした。乾燥時とあまり変わらないようなスピードでもちゃんとグリップしてくれました。それだけにインプレッサになってからは、「あれ? こうなっちゃうの!?」とドキドキしながら運転していました。

ただし、スバルの名誉のために申し上げておきますが、これはタイヤの性能によるところが大きいのだと思います。ファミ子は世界最高性能(?)のスタッドレスタイヤであるブリヂストン製「ブリザック」を履いていたのに対し、貧乏の極みにあった私がチョイスしたのは4本で2万円の激安タイヤですから。一応メーカー名は「T〇Y〇タイヤ」となっていましたが……ええ、スタッドレスタイヤに関しても、このメーカーのものは絶対に選びません。

今度私が乗る車は、うってかわって(新車発売当初の)最新技術をふんだんに盛り込んだ車です。4WDにしても私が今まで体験したことのない、全く新しい方式ですし、ミッションもCVTにひと手間加えたオリジナルなものらしいし。カーナビもバックカメラも標準装備だし。走行距離が15万キロっていうのは少々ひっかかりますが、ファミ子は19万キロ走ったし! 一生乗り続けることは無理でも、長く愛してあげたいなあ。

 物として接し、物として別れる――終わりに
 
 
 インプレッサは結局、私にとって「もの」以上の存在にはなりませんでした。もっと言えば「消耗品」。使うだけ使って、壊れたら捨てる。そういうものでした。
 
 それって普通のことでしょ? と車に興味がない人は、おっしゃるかもしれません。ま、普通のことでしょうね。でも私にとっては普通じゃないんです。これほどまでに愛着を持つことができなかった車は、初めてかもしれません。
 
 でも、この車とともに生きた激動の3年間は、私が次のステージに進むために必要な時間でしたから。
 
 たくさん怖い思いをしたし、たくさん傷つけてしまったけれど、大事な時間だったと思います。
 
 そんなインプレッサに、最後に感謝の気持ちを込めて。グッバイ、スビー。
 
 
  (※ 2年前、信号無視の自転車を避けようとフルブレーキをかけたら見事にロックしてしまい、時速50キロで地面を滑走。その時の傷跡は今も残っています。……それでも、人間もオートバイも今は元気に生きているのが、何よりもラッキーですが)。
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