私と新しい小説? の可能性――さとうとしお 『東北ずん子』論




 これは本来、私のような人間が読むべき本ではないと思うのです。ましてや読んだ感想を書くなどもってのほかであると思うのです。
 
 ただ、買ってしまったのです。発売日に。定価で。
 
 買ってしまったからには、読まなければいけない。早いうちに読まなければ、また何年も寝かせることになってしまうのだから、つって、何とか読みました。
 
 いやはや、苦労しました。そのためかなり荒っぽい読み方になってしまったと思います。
 
 それでも、私にとっては新鮮な驚きの連続でした。とにもかくにも感動したのです。
 
 なので、かなり荒っぽい内容となるとは思いますが、できるだけのことを書き出したいと思います。
 
 
 
 射った餅(もち)すべてを「ずんだ餅」に変えてしまう恐ろし…素晴らしい弓、「ずんだアロー」を携えた少女・東北ずん子は、ずんだ餅をこよなく愛していた。
ある日、ずん子が通う「ふるさと女学院」で、学院祭の出し物についての話し合いが始まる。ずん子は学院祭で「ずんだカフェ」を出展するべく、地道な活動を開始したのだった…!
姉の東北イタコ、妹の東北きりたんと共に、消えた枝豆の行方を追う「材料調達編」、イタコが口寄せしたジョブ○氏(! ?)からプレゼンの極意を学ぶ「プレゼンテーション編」、コミケやメイドカフェでのプロの接客を学ぶ「敵情視察編」…ほか、花火大会、芋煮会でイタコ、きりたん、同級生の四国めたんや九州そらを巻き込み、ずん子は奔走する!
 

 
 と、Amazonに載っていた内容紹介文を丸ごと引用しましたが、そういう感じの内容です。
 
 さしあたって感じたことを、できるだけ書き出します。
 
 ひとつ目は「軽いな」ということ。ですます調の文体で、一呼吸が短くて、すごく平易な内容です。くわえて登場人物もよくマンガチックな感情表現をします。ライトノベルというのはこういうものなのかもしれませんが、あまりに奇想天外な展開が続くものですから、犬神などはそのリアクションをぼんやりと眺めるような、妙に落ち着いたテンションで読み進めました。
 
 そもそも序盤から謎のガジェット「ずんだアロー」ですからね。一種のファンタジー小説なのかもしれませんが、犬神がそれをきちんと消化する前に次々と物語が展開するものですから、ちょっとついていけなかったのかもしれません。これは言うまでもなく、私の不徳のなすところです。
 
 
 あとは、女性同士の踏み込んだ愛情表現が全編を通して多かったなということですね。主人公のずん子の姉であるイタコ(という名前)は妹の写真を好んで撮り、妹のきりたん子は困ったり苦しんだりする姉の姿をうれしそうに眺める……そんなシーンがちょくちょくありました。そうじゃないかもしれませんが、とりあえず犬神にはそう見えました。
 
 くわえてほかの登場人物も、私にはちょっとピンと来ない愛情表現でした。もちろんこれは成人指定小説ではないので直接的な性交渉とか、それに準じることがあったわけではないのですが、どうしてもネチャネチャネチャネチャと絡み合っているようにしか見えませんでした。とろ火で煮られているというか、湯温39度のお風呂というか、そんな感じ。どうにもハレンチな感じがします。
 
 まあ、これもまた私のメンタリティに、そういったものに対する理解がないためです。大変申し訳ないとは思いますが、私にはちょっとなじめませんでした。
 
 
 そして、もっとも驚いたというか、なんというか……「こんなの、ありなの?」と思ったのが、たくさん盛り込まれたパロディの数々。
 
 実在の人物もそうですけど、ほかのマンガとかアニメとかの台詞回しを引っ張ってきて、それをパロディにして並べ立てるシーンなどは、なんかとても商業出版される小説とは思えませんでした。私にはよくわかりませんが、その、権利問題とか……そういうの、大丈夫なんですか? 直接的に言葉が出てないからいいの? あと、最近の魔法少女アニメって首から上がなくなることがよくあるんですか!?
 
 とにかく、これが最大のカルチャーショックでした。「やっくでかるちゃ……」って登場人物のひとりが言っていましたが、そうじゃありませんから。カルチャーショックですから。
 
 
 
 大体これが、私が感じたことでした。
 
 総まとめの感想を書きます。私にとって本書『東北ずん子』は、私の知らない……異次元の物語でした。
 
 思えば今年の春先に『竜馬がゆく』を初めとする時代小説をたくさん読み、アナクロ志向が思いっきり加速しました。坂本竜馬なんかは開明的なタイプですけど、土方歳三(陸軍奉行並)とか楢山佐渡(盛岡藩家老)とかのように、時代の流れに反していることを認識しつつも自分の志を押し通して死んでいった人たちに強い憧れを抱き、元々あったオタク気質(流行を極端に嫌う)を核として分厚い雹のようになってしまった私ですからね。世の中の流れが大きければ大きいほど意固地になってそっぽを向くようになってしまったのです。一方で、幕府軍として戦いつつも洋式の軍隊を取り入れた土方さんのように、受け入れるところは受け入れたいと思っているのですが。

 最初にも書いたように、本来であれば、私のようなタイプの人間は見向きもしないはずでした。この手の本がたくさん並ぶコーナーは足早に通り過ぎるのが常でしょう。
 
 それでも私が手に取ってしまったのは、たまたま発売当日に見かけたから。なおかつその場所も普段あまり行かない本屋だったから。さらに(これが非常に大きな理由だと思いますが)それがラノベコーナーでもなくケータイ小説コーナーでもなく、どういうわけか『復興支援コーナー』にあったから。そして前書きにこの『東北ずん子』というキャラクタが生まれたいきさつと意義が書かれていたのを読み、
 
 「あるいは、この本を買うことで、回りまわって東北への力になるのかもしれない」
 
 という思いを抱いたからです。東北ずん子が可愛いからとか物語が面白そうだからとかではなく、ただただ、このキャラクタが起こす風を少しでも強めたいという思いから、買ってしまったのです。
 
 
 ……あとは、袖すりあうも他生の縁というやつですね。
 
 たまたま休みで、たまたまその本屋に行き、たまたま出会った。しかも出会った日が本の発売日。
 
 「面白い偶然じゃないか」
 
 それなら、ひとつやってやろう。そういう謎の自己後押しも手伝い買った次第です。
 
 
 決して心に染み渡ったとか、笑ったとか泣いたとか抱きしめてゴロゴロしたとか(?)ということはありませんでしたが、世の中にはこういう形式の物語もあるのだな、ということを認識できたのは大きな収穫であったと思います。とりあえずこれでライトノベル、ケータイ小説(未来屋書店イオン盛岡店では、そういう棚に置かれていた)、Twitter小説というジャンルは攻略したと言っていいでしょう。2冊目を読むことは、たぶん……ないと思います。初音ミクの時のように転向宣言をする可能性はありますが、今のところはちょっと考えられないですね。
 
 あと、あまり安易にマンガとかアニメとかのパロディはやらないようにしようと思いました。あまり過剰にそういうのを盛り込まれても、私の脳はちょっと弱いので、消化しきれませんでしたから。自分でよくないなと思ったのは、やらないように気をつけようと思います。
 
(2013年11月28日作成)
 
2023年1月27日 追記:  あれから10年近くたって、まさか本当に宮城に引っ越してくるとは思いませんでした。蔵王とか白石とか、県南の方ではグッズだの看板だのと物凄いパワープレイで活躍している東北ずん子。私もその勢いに負けて? 蔵王の頂上の売店でマグカップを買ってしまいました。今は実家にあるからすぐには読めませんが……あの頃よりも歳を取って、たぶんラノベ耐性も少しはついたから。近いうちに、もう一度読み返したいと思います。

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