再修学旅行――仙台・松島観光旅行記
 Jun,22-23,2013
  


 2日目 「るーぷる仙台で行くマチナカ旅」



観光客御用達


 猛烈なのどの渇きに目覚めた2日目。それでもせっかく朝食無料券があるんだから、と小島聡選手(新日本プロレス)のようなケチ根性・・・いや、健康志向を発揮し、しっかりと食べました。正直なところ、こういうことでもなければ朝から米の飯なんか食べませんからね。
 
 で、仙台駅前に出て、今回の観光で利用することになったのは「るーぷる仙台」という循環バス。これは仙台市内の観光地各地を定額料金で回ってくれるという、まさに私たちのような観光者にうってつけの乗り物です。このバス自体も普通の路線バスと違ってレトロな雰囲気で、拠点間の移動の間もいい雰囲気で楽しめます。さらにさらに、私たちが乗ったバスの運転手さんは色々とトークも面白く、まるで純粋な観光バスに乗っているような気分でした。


 歴史ロマン
 
 
 そんなバスに揺られて、まずたどり着いたのは仙台市博物館。どんなところにもある、その土地の歴史をめいっぱい展示する博物館です。
 
 ここでは昨日行った松島のみちのく伊達政宗歴史館や、この後行った青葉城資料展示館ほどエンターテイメント要素があるわけではありませんでしたが、その分より広い意味での仙台「史」を知ることができました。
 
 特に伊達政宗公以来の歴代藩主についての理解が深まりました。これは特別展で「仙台藩主 勢ぞろい!−初代伊達政宗から13代慶邦まで−」という企画をやっていたから、というのもありますが、やはり『歴史あり』ですね。
 
 この展示を見ていて「ほぉー」と思ったのは、3代目の藩主の在任期間(というのかどうかわかりませんが)が妙に短いこと。これはどうも、素行不良でやめさせられたみたいですね。そして4代目はまだ幼い子供。そういうわけで周りの重臣が実質的な政務を取り仕切ることになるわけですが、そうなると色々とゴタゴタが起こるのが世の常であって・・・。
 
 これが世に言う『伊達騒動』というやつなのですが、このあたりの歴史はここに来て初めて知りました。やはり仙台藩に限らず、平和な時代の殿様のことはあまりよくわからないものです。
 
 
 それから、もうひとつは今年で交流400年となるスペインとの関係を築いたきっかけ・支倉常長展がよかったですね(これは松島の歴史館でも展示があったのですが)。これまでも「戦国時代にいきなりスペインまで行ったスゴい人」という程度の認識はありましたが、今回はその思いがよりいっそう強まりました。もう涙が出そうなくらい感動しました。
 
 色々と驚いたことや感動したことはありますが、その中でひとつ書き出すとすれば、スペインまでの航路ですね。ゲーム『大航海時代II』をプレイした身としては、当然西回り航路、すなわち東南アジア〜インド〜アフリカ経由で行ったのだろうと思ったのですが、いきなり太平洋を横断してメキシコまで行き、そこからさらに大西洋を渡ってスペインに行ったんですね。
 
 正直なところ日本で作った船で日本人が太平洋を横断したのは咸臨丸が初めてだと思っていたからです。それよりもず〜っと前にこんなことをやっていたんだと思うと、ただただ驚きです。スゴイ(※1)。
 
 そんなこんなで南蛮文化の香りを感じさせる支倉常長像(例のあの絵)、ローマ市の公民権証書、その他記念品の数々をながめながら、しばし空想の海を渡っていたのでした。
 
 
 難攻不落の大山城
 
 

 「おおやまじょう」ではありません。大きな山城という意味です。『大・山城(だい・やまじろ)』です。
 
 博物館を出て裏道を登り、本丸にいる政宗公(騎乗バージョン)向けて進軍・・・ではなく、ご挨拶に伺った我ら盛岡藩の面々。ところがこれは非常に大きな山を利用して建てられた城なので、そこにたどり着くまでの道のりがキツくて・・・。
 
 戦時は敵の兵士が攻め込みづらくていいけれど、平時は毎日こんなところを行ったりきたりしなきゃいけないんじゃ、まったく仙台藩の人たちは大変だなと思いました。それとも毎日のことだから慣れるのかな。だとすると、逆に仙台藩の人が平城(盛岡藩など)に来たら、「いや〜こちらのお城はすぐに本丸にたどり着いて、実に楽でいいですな〜」なんて半笑いで言ったりするのかもしれません。
 
 それはともかく、やがてたどり着いた本丸の石垣。これは実に見事なものです。首が痛くなるくらい見上げなければいけないほどの高さもそうですが、石の一つ一つが綺麗に切られていて、隙間なくビッシリと並べられているんですよね。戦時の機能性と平時の美麗性を併せ持つ、まさに見事なとしかいえないようなものです。この時点で国力の差を見せ付けられた感じがします。
 
 
 考えてみると、以前に来た時というのはたいてい車で直接本丸に乗り込み、名所をパッパッと見て帰っちゃうので、公園の敷地内にいろいろなものがあることは知りませんでした。
 
 そのひとつが『宮城縣護國神社』。まあ盛岡市にも護国神社はありますが、それは盛岡八幡宮の敷地内に併設されたものですから、これほどまでに大規模なものではありません。そのため「護国神社とはいったいどういうものなのか」という意識も薄かったので、なんだかすごく衝撃を受けました。どう衝撃を受けたのかは詳しく書きませんが、館内に掲示されていた大東亜戦争(※2)の歴史などを見て、「おれはどうやら、こういう人間になってしまったのだな」ということを認識しました。こういうのがどういうのかは、これもまた詳細には書きませんが。
 
 それはともかく、ここで面白いなと思ったのは、おみくじの自動販売機。これは五大堂にもありましたが、こちらはずいぶんと手が込んでいます。なんと機械仕掛けの獅子舞が、おみくじをくわえて取り出し口まで運んでくれるんです。その前には一通りの舞を踊って見せてくれますし、実に面白いものです。しかも最後にはねぎらいの言葉も言ってくれるし。
 
     


 さて、そんなこんなで神社を後にした私たちは、いよいよこの青葉城で一番楽しみにしていた場所に行きます。

 そう、・・・青葉城資料展示館です。
 
 
 豪華絢爛痛快声優再現アニメ
 
 
 ここも仙台市博物館と同じように、城と伊達政宗公にまつわるいろいろなものを展示している場所なのですが、博物館と比べるとややエンターテイメント要素が強いところです。
 
 たとえば鎧にしても、こちらで展示されているものには胴のところに弾痕があります。これは当時、鎧の丈夫さを確認するため至近距離から銃で撃ち、貫通しないことを確認したというもので、「戦国JIS規格」という見出しがありました。ちなみに隣にはJIS規格適合未確認の一般的な鎧が展示されておりまして、なんだかアメリカのテレビショッピングみたいな感じでした。今までの鎧と違って、この鎧なら銃で撃たれても大丈夫! 今なら兜や小手もセットしてお値段28両です!(オ〜!)

 あとは、館内でリピート再生されている、CGで復元された仙台城の模様。これを400年の時を超えて平成の世にやってきた伊達政宗・片倉小十郎両氏が眺めるというものですが、これは永井一郎・青野武両氏が声を当てています。
 
 公式ホームページでは「新しく当館の第三弾CG『バーチャル仙台〜よみがえる仙台城・城下町』が完成し・・・」と記載があるので、そうすると私が見たのは第一弾くらいだったのかな。まだCGという言葉にハイテクな雰囲気が漂っていた時代だったように思います。
 
 「仙台城を、しいじいというもので再現したのでございます」
 「なに、じじい?」
 「違います、しいじいです」
 
 そんなやり取りがあったなあ、と懐かしく思うひと時でした。
 
 できればしばらく眺めていたかったのですが、時間も限られておりますし、ちょうど大型シアターで「謹製仙台城」という短編ムービーが上映されるということだったので、あわててその場を離れ、シアター内に駆けつけた私たち。建物の入り口でも予告編がリピート再生されていたコレを見たくて来たというのもありますからね。一番いい場所に座って、これを鑑賞することにしました。

 ハイビジョン・新CGで再現された仙台城を、鳥のようにギュオオオーンと低空飛行しながら眺められるこのムービー。全編に渡って内容の説明をしてくれるのは、私が愛してやまない声優のひとり・若本規夫(かみをこえたおとこ)さんです。人によって人造人間だったりトーク番組のナレーターだったりすると思いますが、私にとっては風雲はだか侍・アインです。妹をさらわれるとはアイン一生の不覚!
 
 美麗なCGと大好きな若本さんのナレーション、そして伊達の殿様の大きさに圧倒された私。もう感動で目が潤んでしまいました。・・・私も盛岡南部氏の人間として、岩手が一番! と常々思っていたのですが、やはり伊達政宗公はスケールが違います。秀吉とも家康とも渡り合い、ギリギリのところで何十万石という領地を安堵されたわけですからね。素直にそこは認めることにしましょう。
 
 盛岡藩が負けたわけではありませんが、仙台藩の方が大きいです。南部の殿様が負けたわけではありませんが、伊達の殿様の方が武力も知力も魅力も高いです。『天を衝く』でもなかなかの好漢として描かれていましたし、ここはハッキリと認めてしまいましょう。ワタクシ、伊達政宗公が大好きです!!!
 
 
 そんなこんなで、すっかり感極まってしまった私。何とか室内に明るさが戻る前に涙を拭き、何事もなかったかのようにその場を後にしました。そして兄者がなぜか猛烈に食べたがっていた『ずんだもち』を食べ、日本三大銅像のひとつである伊達政宗公の騎乗像を完全逆光で撮影。そして馬上の政宗公と同じ方向――すなわち仙台市街とその向こう側にある松島、そして太平洋を見て、
 
 「ああ、これが政宗公の見ていた景色なんだな」

 「政宗公はこうやって、はるかかなたにあるスペインへの想いをはせたんだな」
 
 と、またもや感慨に浸り、その場を後にしたのでした。まったくもって、すばらしい体験でした。
 
 
 

 アカデミック・クライマックス〜そのあと
 
 
 その後は、兄者のリクエストもあって、東北大学の標本博物館を見ました。
 
 かねてより『ニュートン』を愛読し、古生物に並々ならぬ愛着を持つ兄者は、発掘された化石類とその生き物たちが実際に生きていた時代のイメージイラスト(どこかで見たことあるタッチだなと思ったら、実際に『ニュートン』で見たことのある絵もありました)、それに骨格標本などを見て大興奮していました。
 
 私ですか? 私は、えっと・・・ど、どちらかというと、人文系の人間なもんで・・・。
 
 いや、でも、兄者ほどではありませんが、それなりに感動するところはありましたよ。単純にそういった生物が生きていた時代があったんだな、と思うこともありましたし。あとは、えっと・・・
 
 これもまた単純な話なんですが、化石の中には、ほとんど完全な形で発掘されたものもあったんですね。こういうの、よく出てきたなあって。そういった感動はありました。
 
 
 この時点でもう夕方だったので、ぐるりと回ってきた「るーぷる仙台」に乗り、いよいよ街中へ。市街地を歩き、いくつかゲーセンに行ってみようと思ったのですが、なんか・・・やはり、ちょっと違いましたね。
 
 思えば初めて仙台市内のゲーセンに来たのは、まだ中学生のころでした。当時は兄者が東北工業大学に通っていたこともあって、同じようにしないのゲーセンめぐりをしたのですが、当時はここでしか稼動していないようなゲームがたくさんあって。「さすが、都会はちがうなあ」と感動したものですが、今回行ったところはどこにでもあるようなクレーンゲームと格闘ゲームばかりで、結局プレイしたのは数年ぶりに再会した『バトルガレッガ』くらいでした。
 
 まあ、こんなものでしょうね。それだけ盛岡も仙台と変わらないくらいの都会になったというべきか、それともゲーセンそのものが、こんな感じになってきたというべきか。
 
 そういうわけで、そのままストリートを通り過ぎて仙台駅に到着。新幹線に乗って帰路に着いた。以上です。



 総括: 『仙台モデル』の可能性
 
 
 今回の旅行で、ひとつ、大きな発見をした気がします。
 
 というのは、今回のようにあまり時間がない旅行の時は「遠くの観光地から先に行く」ということ。気持ちにも時間にも余裕があるうちに一番遠いところに行って、時間いっぱいまでその場を楽しんだ後、夜に拠点に戻る。次の日は街中の名所を色々と見てまわり、時間が近づいてきたらパッと駅に行き、帰路に着く。そんな感じで予定を組み立てれば、より目いっぱい観光を楽しめる気がするのです。
 
 さしあたって、これを『仙台モデル』と名づけることにします。一泊二日の旅行それじたい、あまりすることがないのですが、もしもそういう遠出をすることがあれば、今回の旅行を参考にしてスケジュールを組みたい。そう思いました。
 
 
 あとは、感情的なものですね。20年前に行ったっきりの記憶と2013年の現在を結びつけて。そうすることで過去の記憶も生き返ってくる気がします。・・・なんて、昔のことはあんまり覚えていないので、ほとんどが新規のイメージなんですけれどね。ただ、そう言ってあきらめてしまえば、せっかくのコンセプト『大人の修学旅行』根底から破壊されてしまう(ひいては、そういう目的で旅行をプロデュースしてくれた兄者の面目も丸つぶれ)のので、わずかな記憶を何とか引っ張り出して、かき集めて、それでやってきたのですが。
 
 まあ時間的制約もあって、見られなかった場所もあります。「もう少しゆっくり歩いてみたかったな」という思いも、ないわけではありません。
 
 でも、それだからこそ、いいのかもしれませんね。そういう思いがあるから、また来る理由ができる。車で下道を走っても4時間、新幹線なら1時間ほどで着く場所にあるわけですし。またいつか、行ってみたいものです。そんな風に思いました。
 
 
 
 おまけ:夜の『仙台モデル』とその他気づいたこと
 
 
  
 (※1 もっとも、ガイドさんが誰かに語っていたところによれば、この偉業も後の岩倉使節団によって再発見されるまで広く知れ渡ることはなかったそうですが)

 (※2 私は『太平洋戦争』という言葉の方がなじみがあるのですが、これはアメリカ側の呼称であって、国内では大東亜戦争と呼んでいたからこうしている、という旨の説明がありました)




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