再修学旅行――仙台・松島観光旅行記
 Jun,22-23,2013
  




近くて遠い?


 盛岡市の学校の修学旅行といえば、小学校は仙台松島・中学校は東京(一昔前は北海道)・高校は奈良京都というのが定番で、私もまたそのパターンを踏襲してきました。
 
 このうち最も古いのは小学生のころに行った仙台松島です。今年でちょうど20年ほどさかのぼることになります。当時小学6年生でした。
 
 さすがに20年も経つと、ほとんど記憶がありません。瑞厳寺・五大堂さらに蝋人形館など、そういった場所に『行った』という記憶はあっても、瑞厳寺がどういうものだったかというよりも日立の重文マーク(※)が怖いというか不思議というか、そんな気がしたなあ、ということしか覚えていません。なんだかなぁ。


 
 まあ、小学6年生ですからね。年月がずいぶんと経ったこともありますが、そこまで寺社仏閣に興味があったわけでもなく・・・ともかく『行った』という記憶だけが、私の中にはあり続けました。
 
 東京とか奈良京都と比べれば、確かに近い距離にあるのですが、それでも「よし今日はちょっと松島に行ってみるか」と、思いついたが吉日とばかりに行くには少々遠いです。そういうこともあって、ついに20年も経ってしまいました。
 
 
 誘いに乗る
 
 
 そんな中、なぜか兄者から「今度、松島に行ってみようぜ。もう一度、修学旅行をやろうぜ」という話がありました。どうも兄者も私と同じような思いがあったみたいで、あのころは何の感慨ももてなかったけれど、人生のキャリアを積んだ今こそ行ってみるべきじゃないか、という話だったんですね。そうすれば本当のよさがわかるだろうから、と。
 
 確かに行ってみれば色々と得るものもあるでしょうが、今は遊びにそれほど大きな金額を投じるわけにはいかない経済状況。だから、本当は遠慮したいところだったのですが・・・しかしながら、こういった機会でもなければ、本当にずっといけずじまいとなる可能性もありますからね。まあ、これを好機と捉えて、がんばって行くとするか、となったしだいです。
 
 当日の早朝、高速バスに乗って2時間ほどかけ仙台に到着。宇都宮市からやってきた兄者と合流し、いよいよ20年目の再修学旅行がスタートしたのでした。
 
 
 心残りは永遠に
 
 
 仙台駅からローカル線に揺られ、JR松島駅に降り立った私たちは、海岸を目指してしばし歩きます。どうも私がイメージしていたのは「松島海岸駅」という別な名前の場所だったみたいです。
 
 ともかく街中をふらふらと歩きながら、景色を眺める私たち。さすがに潮のにおいが漂ってくるあたりでは、私のテンションも徐々に上昇しました。
 
 そんな中で思わず「あっ」と声をあげてしまった建物がありました。『ベルギーオルゲールミュージアム』です。
 


 20年前の修学旅行の時に、バスの中から見た建物。特別にオルゴール趣味があったわけではないものの、妙にモダンな建物に心引かれ、「いつか行ってみたい」と思い続けてきた私。いよいよその夢がかなうのかと思いきや、入り口のところには工事用のバリケードが。どうやらこれは定休日とかというのではなく、完全に営業終了状態なのだなと思い、さびしくその場を後にしました(※2)。
 
 
 20年ぶりの参拝(五大堂だけ)
 
 
 程なくして目的地である五大堂にたどり着いた私。思わずひやりとしてしまう隙間だらけの橋を渡り、20年ぶりに参拝、さらにあの松尾芭蕉もうなった絶景を眺めたのでした。
 
 
 
 正直なところ20年前は、『五大堂に行った』という記憶はあるものの、具体的にどんなところだったのかは・・・まったく記憶にありませんでした。この隙間だらけの橋も、渡ったのか渡っていないのかさえ覚えていません(たぶん渡ったと思いますが)。なので懐かしいという感情はありませんでした。
 
 ただ、すごく眺めのいい場所であることは、間違いありませんからね。これは芭蕉の時代から変わりませんから。よく覚えていないのは、きっと私がそういったものに感動を覚えるレベルがなかったからでしょう。そういうわけなので、この景色を眺めることができて、よかったです。

ちなみにもうひとつの・・・霊場というか、神仏の力が強そうな場所が、近くにある「瑞厳寺」ですが、あいにくとこちらは同地の様々な場所を回っているうちにタイムアウトとなってしまいました。拝観時間終了です。

 そのため、20年前はそれほど興味がなかったお寺めぐりの「やり直し」は中途半端な形で終わってしまいました。しかしまあ、これは次回のお楽しみにとっておけばよろしい。お寺めぐりはできなかったものの、それ以外のエンターテイメント施設を回ることができたのですから。
 
 
 マリンピア・おお・マリンピア
 
 
 五大堂を見終わった後、ちょうどお昼時になったので『マリンピア松島水族館』で何かを食べようということになった私たち。どうして名店がたくさんあるのに、水族館で食べようとしたのか。水族館だけに活きのいい魚がいるということなのか。ってマリンピアは寿司屋じゃないですから!

 水族館の中にあるフードコートでは、常設のスペースのほかに特設屋台がいくつかありました。そこでイカ・サザエ・ツブなど焼き物を食べました。そして早速の生ビールをチョイスした兄者に対し、私が選んだドリンクは赤い方のコカコーラ。普段はゼロコーラにこだわっているのですが・・・そして懐かしい場所に来た時は、その時代にあった飲み物を飲もう。そう思ってオリジナルの方を選択したのでした。
 
 松島水族館は、やはり格別の思い入れがあります。ここは修学旅行で来たのもそうですけど、プライベートで家族ともども来たこともあります。まあ、それにしたって1回とか2回とか、その程度だと思うのですが・・・。
 
 確かに、ここよりも珍しい魚がたくさんいる水族館はたくさんあります。大きな水族館もたくさんあることでしょう。ただ、ここが一番「古い」水族館ですから(※3)。いかにも昭和レトロな雰囲気を保ちつつ、珍しい魚や水系の生き物をたくさん飼育している場所ですから。水族館に行った時に感じる幻想的な雰囲気に加えて、どこか昭和な時代に戻ったような・・・時空を超えたような気分になれる場所なのです。
 
 とはいえ、「時空を超えた」とか、そういうワケのわからない言葉だけではなんなので、特に印象に残っている場所をいくつか書き出してみたいと思います。
 

  壁ひとつ仕切った向こう側にいるペンギンたち。お昼も彼らを眺めながら食べました。ピョコピョコと歩いたり、悠々と泳いだりするペンギンたちはとても可愛らしいです。

  淡水魚(ピラニア、ピラルクなど)に興奮。とにかく大きい魚はそれだけで興奮するのです。
  
  くらげの軍団に幻想的な気分になる。水槽の中にいる何十匹もの半透明なクラゲたちがフワフワユラユラとたゆたっている姿は、いつまで見ていても飽きません。
  
  パンダイルカかわいい。これはたぶん世界中の大半の人がそう思うことでしょう。つい先日赤ちゃんが生まれたそうで、親子で仲良く悠々と泳いでいました。
  
  亀が大きい。昔、浦島太郎という人がアレに乗って竜宮城に行ったといいますが、ちょっと無理をすれば大人三人くらい乗れそうな巨大亀がいました。ただ、中くらいの亀は水中を元気に泳いでいましたが、大型の亀はほとんど動いていませんでした。
 
 
 そんな感じで、最終的には観光地名物・記念メダルを購入し、その場を後にしました。なんというか、この雰囲気がいいですよね。震災で結構な被害を受けたものの、それでも往時と変わらない賑わいを見せている松島水族館。これからも、ずっとずっと、この雰囲気を保ち続けてほしいものです。
 
 
  蝋人形の館・イン・松島
 
 
 その後『みちのく伊達政宗歴史館』というところに行きました。ここは仙台の英雄・伊達政宗公の生涯を蝋人形で再現した非常にエキサイティングな場所で、ここは当時の私もよく記憶しております(妙にリアルな人形があったよな、ということくらいですが)。
 
 入ってすぐにお出迎えしてくれたのは、東北出身の偉人たち。作家、政治家、学者、歌手などなど・・・中には会津容保公の蝋人形などもありましたが、おおむね明治期から昭和にかけての人たちです。なにげに岩手県出身の人が多かったのはちょっとうれしかったです。
 
 そんな偉人たちの業績にフムフムとうなずいたところで、門番の兵士(これは伊達政宗公の時代の格好)の横をすり抜け、いよいよ安土桃山時代に突入します。政宗公の誕生から成長、そして天下にその名をとどろかせた大名藩主時代までの流れを蝋人形と要所要所で流れるナレーションを聞きながら味わっていきます。

 世界的に有名な蝋人形館といえばイギリスのマダム・タッソーか東京タワーかというところでしょうが(東京タワーのほうは今はどうなっているのかわかりませんが)、それにしてもこの蝋人形というのは非常に人間的というか、今にも動き出しそうな雰囲気が感じられるので、とても好きです。
 
 そういった人形たちを目の前にして、自分が知っている乏しい知識を手にしながら、解説書とナレーションを聞くと、いよいよイメージが深まっていきます。私は南部氏を主と仰ぐ盛岡藩出身の人間ですが、それでも太閤秀吉を相手にうまく立ち回って危機を切り抜ける聡明さと大胆さは感服するばかりです。正直「うちの殿様よりも、よっぽどいい殿様だな」と思ってしまいました。まあ、うちの殿様だけじゃなく、全国レベルで見ても、かなりの名君であったとは思いますが。
 
 
 そういえば、これは当時もあったかなかったかわかりませんが、コンピュータで再現した「政宗公の肉声」というのを再生するコーナーがありました(頭蓋骨の復元模型などから「こんな声だったのだろう」というのを再現したみたいです)。ナントカ無双に出てくる「バカめ!」が口癖の若武者声しか頭にない私の頭をガツンと打つような重々しい、さらに温かみのある声でした。
 
 
 そんなわけで、20年ぶりに行った『みちのく伊達政宗歴史館』は、相変わらず素敵な場所でした。あのころほど瑞々しい感覚はありませんが、その代わりたくさんの知識を仕入れた今だからこそ、わかることもたくさんありました。そのことをしっかりと胸に刻むことができて、本当によかったです。
 
 
  それから〜さようなら松島、またこんど
  
  
 さて、この時点で時計の針はすでに夕方4時を回っておりましたが、「松島レトロ館」という謎の施設に行ってみよう、ということになりました。とある土産物屋の2階にあるこの施設、一言で言うと昭和レトロなグッズがたくさんある場所です。レコードやそれを再生する機械、オープンリールに8トラ。さらにはなつかしのおもちゃや漫画など、そういったものが所狭しと展示されています。
 
 私は昭和56年生まれですから、オープンリールとか8トラとかというのは「懐かしい」というには少々古すぎる代物です。ただ、幕末とか明治とか大正とかに思いをはせるように、昭和30年代〜40年代(プラス50年代も)のものにノスタルジーを感じる気質があるので、ひとつひとつを丁寧に眺めながら、当時のことを空想して楽しんでいました。
 
 ただ、この中には空想して楽しむだけでなく、実際に遊んで楽しめるおもちゃもありました。電動ではなく手動でレバーをはじき玉を飛ばすパチンコや、微妙なレバーさばきで盤の右上にあるスタート地点からゴールまでパチンコ玉を落とすゲーム(俗に10円ゲームとか新幹線ゲームとかいうアレ)に、高速でランプが点滅するルーレットを任意のタイミングで止めてゴールを目指す双六ゲームなどです。いずれも、あるいは駄菓子屋の店先とかに今でもあるかも? と思われるようなものです。
 
 これらについて兄者と3番勝負をやったところ・・・
 
 パチンコ  :私の勝ち(チューリップに入った回数は私のほうが多かった)
 10円ゲーム:引き分け(どっちもゴールにたどり着けなかった)
 ルーレット :兄の勝ち(兄者だけがゴールにたどり着けた)
 
 といった成績だったのですが、ルーレットはゴールにたどり着くと記念メダルが出ました。そしてこれをカウンターにもっていくと、素敵な記念品と代えることができました。そういう意味では、実質的な勝者は兄者ということになるでしょう。少々悔しかったですが・・・ま、ともかくたっぷり楽しめたのでヨシとしましょう。
 
 
 かくして様々な思い出と思い残しを胸に、松島海岸駅から私たちは仙台駅へ戻ることにしました。そして仙台市内では『大人の修学旅行』を開催。当時の先生たちと同じくらいの年齢になったわけですから、枕投げやトランプや女子の部屋に遊びに行くとかの代わりに、中心街のとあるお店で酒宴を開催。大いに盛り上がったところでその日は終わったのでした(詳細は後ほど)。 
 

 
 2日目 「るーぷる仙台で行くマチナカ旅」へ
  
  
(※  別名、火気厳禁ボード。そういう内容の注意書きが書かれた立て看板) 
(※2 家に帰ってから調べたところ、震災の影響で閉鎖したということがわかった) 
(※3 個人の感想です)



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