ホームページ開設20周年記念寄稿
『2000 - 2011 - 2020
SFマガジンと私』
積みゲーという言葉は知っていますが、積み読とでも言うのでしょうか。タイトルとか著者とかジャケットとかを見て衝動的に買い求め、「いずれ読もう」と思っているうちに早数年……なんてぇ本が私もたくさんあります。
中には希少価値がある本だとか、はたまた中身はさておき「その本を所有すること」で満足してしまうような代物もあります。コレクションといえば聞こえはいいですが、読まれることのない本はデッドストックです。日本語で言えば「死蔵」です。残念ながら私は公立図書館並みの蔵書管理システムも四次元ポケットを持っていないので、時々本棚をひっくり返して、
「これから先も読むことがなさそうな本は、全部処分してしまおう」
つって200冊以上は処分しました。
もちろん、そういうのばかりではありません。「そろそろ読んでみようかな」と思って頃合い良しと本の世界に飛び込んだり、「まあこういう機会でもないと、また死蔵になっちゃうからな」と思って重い腰をよっこいせと持ち上げて飛び込んだり、「どうせ処分する本だけど、せっかくお金を出して買ったんだし、せめて一読くらいしてやるか」と渋々? 読み始めたり……そして、往々にしてそういう本が私のまだ知らなかった世界を切り開くきっかけとなったりするから、やっぱり本は偉大です。
そして、衝動買いもまあ、悪いことばかりではないのです。うちの弟者からは「何でせっかく買ったのに、すぐに読まないの?」と言われるのですが、何事もタイミングがあるのです。そのタイミングがいつ来るのかは、私自身にもわかりませんが、必ずあるんですそういうの。
今回(2020年4月)、買ったお店の包装紙さえ破っていなかった本を読みました。
S-Fマガジン 2011年8月号です。特集は……今や世界的いや宇宙的に広がりを見せているミクさんこと「初音ミク」について。
青森県弘前市では弘前城さくらまつりのイメージキャラクターとして、トレードマークのロングツインテールが桜色になった『桜ミク』があったりと、いよいよ一般カルチャーになりつつある(あるいは「なっている」のか?)初音ミクですが、2011年当時は……S-Fマガジンで特集を組むくらいですから、もうムーブメントは動き出していました。私は最初から初音ミクに熱狂した世代ではありませんが、しかしながら無視し続けることもできず、買うだけ買いました。そして9年ビンテージさせた2020年4月、ようやく読みました。
ちょっと大きな言い方になりますが、20年ぶりにS-Fマガジン、ひいては本格SF世界に足を踏み入れたのでした。はい、ここから本題に入ります。
西暦2000年のS-Fジャケ買い――それは鶴田ガールだった
時間の針を20年分、巻き戻します。はい、西暦2000年です。このホームページが開設したばかりのころ。私はラストティーンエイジ、19歳、大学1年生です。夢の大学生活がスタートして、毎日毎日本に囲まれ、『ラブライブ! サンシャイン!!』の国木田花丸ちゃん並にワクワクしていました。
そんな浮かれ気分も手伝って、ちょっと背伸びをしたくて、学生生協にあった「SFマガジン2000年6月号」を買いました。
それまで私にとってSFというのは、「手をつけちゃいけないジャンル」でした。私の兄は大のSFマニアで、部屋の本棚には早川SF文庫がずらりと並んでいましたが、一方の私は……ね。いやSF的な世界観は大好きだったのですが、映画に漫画にゲームと、一般人レベルの形式にとどまっていて、本格的なSF小説というやつは、なかなか敷居が高いと思っていたのです。
それでも先述したように、ちょっとかっこをつけたくて、無謀にも買ってしまいました。
でも、今こうして考えれば、やっぱり表紙が決め手だったのでしょうね。ええ、鶴田謙二さんです。『Spirit of wonder』が大好きで、そのアニメ化作品『チャイナさんの憂鬱』はなんとレーザーディスクで買ってしまったくらい大好きな絵描きさんです。その人が表紙を書いていたから、買ってしまったのでしょうね。初音ミクの時と一緒です。
当時、これは何とか読んだ気がします。フィリップ・K・ディックも「一応」読んだことにしました。そのあとも何冊か買いましたが、表紙が鶴田謙二さんの絵ではなくなった号から買うのをやめました。全国のSFファンの皆様には申し訳ありませんが、結局、私はSFが好きなのではなく鶴田謙二さんの絵が好きだから買っていたようです。ごめんなさい。
……いや実際読んでみて思ったのは、「自分はあまりにもSF小説に対する適応性がない」ということでした。せっかく作家の方がアレコレと言葉を尽くして世界観とか物語の説明をしてくれているのに、それがどういうものなのか、いまいち理解できないのです。SF映画とか漫画とかゲームとか、そういう世界観じたいは大好きなだけに、そういうのをちゃんと理解できない読解力・理解力のなさが、ちょっぴり悔しかったです。
でも、それは20年の時間を経て、ほんの少しだけ解消するのでした。
サイエンスとフィクションの可能性を信じて
集中的に本を読みまくっていた大学時代と比べて、確かに社会人になった今は、読んだ冊数という意味では及ばないかもしれません。しかしながら小説にせよ評論にせよ、どの文脈を理解し自分の中に取り入れる「地力」は、確実にアップしていると思います。思う、というか「実感」と言ってもいいでしょうか。それが今回、S-Fマガジン2011年8月号を読んでいて、感じました。
テーマが日本人にとってなじみやすい初音ミクだからかもしれません。外国人の文学にピンとこないのはカタカナの固有名詞にピンとこないからかもしれません。でも、やっぱり読解力がアップしたんですよね。あるいは、読解力という単一のパラメータ以外の、総合的な能力がアップしたからかな。
とにかく、結構時間はかかりましたが、一通り読みました。そして私の心に大きな実をもたらしてくれました。
やっぱり初音ミクってすごい。それをモチーフに物語を作るSF作家さんもすごい。もちろん音楽を作る人も。
昔、筒井康隆氏が「士農工商イヌSF作家」なんて言って自嘲したこともありましたが、いえいえ、そんなことはありません。私には絶対に書けないし、全部を理解することもできませんが、夢とか希望とか感動とか――こんな言葉を使うのもちょっと青くさくて恐縮ですが、昔も今もそういうのをもたらしてくれるのだなと思いました。
特に感銘を受けたのは、「キャラクターは死なない」という言葉でしょうか。
もちろんキャラクターは創作物である以上、生かすも殺すも私たち次第です。私が文章で煮るなり焼くなり八つ裂きにするなり自由自在だとは思うのですが、そのキャラクターが愛され、二次創作という形で次々と生まれ受け継がれていくから、死なないんです。この号の特集で組まれていた初音ミクがそうですよね。
私は上手に音楽を作れないし上手に絵も描けないし、それほど熱狂的な初音ミクファンというわけではありませんが、じつはセガのアーケードゲーム『初音ミク project DIVA』とかはカードを作ってプレイしていました(その時に作ったカードで今もSWGPとかけもフレとかをプレイしています)。「ワールドイズマイン」とかが好きでした。「メルト」なんかはカラオケで歌ったりもしました。
好きなことを否定できないし、否定する必要もない。私たち人類がまだ知らない何かを気づかせてくれるきっかけになるかもしれない、サイエンスから生まれたフィクションの存在を愛してもいいんだ。
不自然に捻じ曲げようとしていた心が、まっすぐになりました。
そして、まっすぐになった心が向かうのは、SF的な世界です。
いま自分がやりたくてもできないことを叶えてくれるのは、魔法だと思っていました。最近じゃそんな魔法が当たり前の世界に転生して云々〜なんていうのが流行しているようですが、ちょっと魔法関係は置いておこうと思います。
本当は「ドラえもん」で育った人間ですから、科学がいいんです。ちゃんとした理論が作れないから遠慮していたけれど、この世界にはそんな私の代わりに夢を叶えてくれるドラえもんに相当する人たちがいます。それがSF作家と呼ばれる人たちです。
フィクションのロケットに乗り、フィクションの宇宙を旅する。フィクションの中で地球の滅亡に立ち会ったり、宇宙人に日本産のボーカロイドの説明をしたり、どこかの何かに向かって莉子ちゃんレーザービームを放ったり……いや、どうしたどうした莉子ちゃん(New romantic sailorを聞いた感想)。そういうことを思う存分やってもいいんだって思ったのでした。
20年かかったけれど……
さて……そろそろこの文章も終わらせるとしましょう。
最終的に何が言いたいかというと、やっぱり人生、長く生きれば生きるほど面白いってことです。若いころには「だめだこりゃ」つって投げ捨て、「次いってみよ〜」といかりや長介さんの物まねをしながら歩いてきたとしても、5年とか10年とか20年経って思い出して、その時代にタイムスリップしてみたら意外な使い道が見つかったりするんです。まあ私の場合、そういうことができるって気づいたのが、ここ1年くらいですから、ちょっと苦労していますが(30年分の心の倉庫の整理を1年でやらなくちゃいけないわけですから)、でも楽しくもあります。
とりあえず今度実家に帰ったら、もう一度S-Fマガジンの2000年のやつを読み返してみたいと思います。きっと当時はわからなかったことが、いっぱい、わかると思うから。
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