『竜馬がゆく』と『壬生義士伝』について
 ――2013年の書きかけ文書より再構築



 勢いで書き始めて、息切れしたところで打ち切りになって、それっきり何年もほったらかし……なんていう文章がいっぱいあります。
 
 たいてい、そういうのは今になって完結させようとしても、少なくともその時の熱さはなく、さらに内容もあんまり覚えていなかったりするのでね。結局そのまま放っておくか、あるいは削除してしまうか……となってしまうのですが、一方でそんな中途半端なものでも「ああ、そうだったのか」と気づくこともあります。
 
 たとえば、初めて読んだ時代小説は『竜馬がゆく』だと思っていたのですが、どうやら『幕末銃姫伝』(藤本ひとみ)がきっかけだったみたいです。その年のNHKの大河ドラマは『八重の桜』で、本屋さんにも新島八重ものがずらりと並んでいた時期ですからね。もっとも、これが刊行されたのは2010年なので、別にブームに便乗して出たわけではないのですが。
 
 それで、その「幕末銃姫伝」が抜群に面白かったので、
 
 「幕末物の小説が云々っていうのなら、『竜馬がゆく』くらい読んでないとダメだろう」
 
 つって、近所の図書館で借りてきて読んだのでした。

 そして続けざまに『燃えよ剣』とか『壬生義士伝』とかを読み漁り、本だけじゃなくゲームなどでも幕末のことを知り、挙句の果てに函館に行って「ひとり函館戦争アゲイン」を敢行したりして、今では土方歳三さんの大ファンになってしまったわけですが、2013年当時は素直に坂本龍馬が好きでした。


 好きな理由としてあげていたのは、土佐藩の人間としてというよりも、日本人としてこの国を変えようとしたことです。
 
 創作物で必要以上にボリュームアップされているだけなのかもしれませんが、
 
 「薩摩だ長州だと狭い枠組みにこだわってる場合じゃない。今こそ日本が一つになって、外国の脅威に打ち勝たなきゃダメなんだ」
 
 てなことを言って薩長同盟とか何とかっていう政治工作を成し遂げていった……そういうところが、スゲーなあ、と思ったのです。ええ、私はとにかく維新派であって、徳川幕府なんていうのは因循姑息の音がするような気がして、好きになれませんでした。
 
 
 しかしながら、私の地元の岩手県――当時の南部盛岡藩は、その幕府側についたものですから、必然的に盛岡藩関係の人と言うと佐幕側の人になります。
 
 その一番有名なところが『壬生義士伝』の主人公・吉村貫一郎ですね。
 
 これもドラマになって映画になって、それらの舞台になった岩手県盛岡市ではあちこちに立札が建てられています。今ではもう字もかすんでボロボロになってしまいましたが、それでも今も立ち続けている……はず……です。すみません今度見てきます。
 
 原作を書いた人は浅田次郎氏。カメラがらみの小説「霞町物語」なんかもそうですが、なかなか読みやすくて、それでいて読者の感情をユッサユッサと揺さぶるような物語です。それゆえ多くの人が「泣ける小説」といってもてはやしていましたが、私はたいして泣けませんでした。たいしてというか、まったく泣けませんでした。
 
 今、読み返したらどうかって? それはやめておきましょう。いま浅田次郎氏の小説を読んだら、それこそ当時の感慨も含めてまっさらになってしまいそうな気がするからです。今の私の感情回路は、浅田次郎氏の物語に最適化されていないのです。「冷血漢」「人でなし」「下衆の極み」なんとでも言ってください。私は「泣ける小説」を読んで泣くほど素直ではないのです。
 
 ああ、すみません。吉村貫一郎の話でしたね。一応、当時の言葉を読むと、やっぱり「あんまり共感できないな」という感じだったみたいです。まあ、私自身が現実に妻帯し、年頃の娘のひとりもいそうな歳になった今は違いますが、当時はね。郷里の家族に仕送りをするためとはいえ、金に汚い吉村貫一郎に「武士らしさ」を見出せなくて、それでちょっと……という感じだったみたいです。
 
 
 でも、それが好意的であってもそうじゃなくても、やっぱりその時に感じたことは尊重したいと思うのです。当時も今も私は私ですから。そのころわからなかったことが、アラフォーの今になってわかる。それでいいじゃないですか。
 
 そんなわけで、当時中途半端な状態でほったらかしにしていた記事を2020年現在の主観も踏まえて、まとめました。そういえば『竜馬がゆく』に限らず、司馬遼太郎先生の物語っていうのは、その小説を書いている時代から見た先生自身の意見とか歴史観とかが『余談』として盛り込まれているところが面白いですよね。いわゆる「司馬史観」というやつでしょうか。まあ賛否両論あるとは思いますが、このあたりは、なんだか『歴史秘話ヒスとリア』を見ているようで、さらに想像が膨らむんですよね。
 
 まあ、今回は残っていた文章が思いのほか短くて、余談の方が長くなってしまいましたが……とにかくこうやって公開できるものは少しでも公開していきたいと思います。誰が見ていなくたっていいんです。こうして公開しておけば、誰かが見てくれるかもしれないから。
 

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