私と美しい本とお姉ちゃんのバイク――
村山早紀『ルリユール』論


 『ルリユール』というのは、平たく言えば本の修復をする職人のことです。請われてしまった本を元通りに修復したり、さらには新しく装丁を付け加えたりして、お気に入りの本を文字通り唯一無二の本にしたり……そういう技術を持った人のことのようです。
 
 久しぶりに書くので、私と村山早紀先生の物語とのかかわりあいについて、改めて書きたいと思います。って、ただただ私が好きだって、それだけの話なんですけどね。
 
 
 最初に出会ったのは高校時代。図書館にあった『はるかな空の東―クリスタライアの伝説―』でした。
 
 高校2年生の時、鳥取県米子市の商店街にある古本屋で買い入れた『ルイス・キャロル詩集』をきっかけに、すっかりファンタジー野郎になっていた私でしたが、最初は「表紙の女の子が可愛い」という理由でした。そして実際に手に取ってみると、なるほど……ファンタジーな物語ではあるものの、あくまでも私たちと同じ現代の日本にいるフツーの女の子が主人公ですからね。ゲームもするし、難しいゲームをやるなら攻略本もいるでしょう。
 
 「ううむ、せっかくファンタジックな世界に浸りたかったのに、夢が覚めてしまうな……」
 
 そのころに感じた違和感? を今の言葉で語るとすれば、そんな感じでしょうか。それはTwitterとかって横文字が出てきた時、スマートフォンとかタブレットとかガジェットとか、場所が変われば心ときめくようなキーワードが出てきた時もそうでした。って、それは別な作品ですけどね。90年代にはスマートフォンとかTwitterとかはなかったし、タブレットといえばミンティアみたいな食べ物でしたから。
 
 
 本格的に読み始めたのはたぶん、2013年のことだと思います。
 
 この年に何があったのかというと、それまで毎日使っていたパソコンが壊れてしまったんですよね。

 基本的に朝起きて、居間に下りてきてパソコンの電源を入れる……というのが私のルーチンワークでしたから、そのパソコンが壊れたとなると、急に手持ち無沙汰になってしまいます。そこで仕方がない、時間はたっぷりあるんだし、つって無差別級異種格闘読書戦シリーズが始まりました。
 
 時代小説から児童文学まで。山岡荘八先生の大長編「徳川家康」にユングの「分析心理学」、はたまた「魔女の宅急便」それに「守り人シリーズ」「獣の奏者」そして村山早紀先生の『ルリユール』……と。そんな感じです。
 
 
 それから時間は0.0000(ry)1秒も止まることなく流れ続けて、この文章を書いているのは2020年です。7年が経ちました。7年前すでに30代だった私も今年2020年は39歳になります。ということはあと1年で40歳です。アラフォーです。
 
 そうした状況で、『ルリユール』を再読しました。
 
 そうしたところ、当時とはまた違った感想がありました。そのころどう感じたかという詳細なレポートががないので、確実なことは言えませんが……少なくとも最初に読んだ時とは違う「私自身の現在」を踏まえて、確実に「当時とは違う感動」をたくさん感じました。
 
 過去にどう感じたのかはさておき、とりあえず今、感じたことを書きます。
 
 
 『ルリユール』の舞台は、村山先生の小説ではおなじみ? の『風早の街』です。ほかの場所から、この風早の街に住む祖母を訪ねてやってきた女子中学生『瑠璃』が、ひょんなことからこの街にいる本の修復職人ルリユールの女性『クラウディア』と出会い……とかなんとかっていう物語です。
 
 具体的にどう書いたらいいのかわからないので、とりあえず感じたことを書きます。
 
 基本的に「本が好き」っていうのがポイントですよね。主人公の瑠璃は母親が図書館の司書ということもあって、本が好きというだけでなく、実際的な修復の技術についても少し知識を持っています。クラウディアは……言うまでもありませんね。わざわざ遠い街から本の修復を依頼しに来るお客さんがいるくらいですから、技術も折り紙つきです。お店の前の看板にある「魔法のように」という言葉は伊達ではありません。本当に、どんなにぼろぼろでページの欠けがあって落書きのあるような代物でも、何とかかんとか修復してしまうのです。
 
 本が大好きな瑠璃は、そんなクラウディアに憧れ、弟子入りを志願します。その一方で、様々な依頼をもって訪れるお客さんは絶えず、瑠璃はクラウディアのお手伝いをしつつ、ルリユールの技術を学び、やがてその秘密を垣間見る……という感じでしょうか。
 
 物語の中で実際に流れる時間は(少なくとも瑠璃の視点では)それほど長くありません。あくまでも瑠璃は夏休み期間中、お盆の帰省で祖母のいる風早の街に来ているだけですから。ほんのちょっとだけほかの家族よりも早く来てはいるものの、それでも数日の差ですから。
 
 でも、物語はそんな現実的な時間の制約にとらわれず、ダイナミックに行ったり来たりします。なんでかといえば、それはつまり本の修復を依頼した人が、それまでに、どのくらいの時間を生きてきたかによるからです。

 10年? 20年? 40年? それとも……?
 
 はい、これが私が、再読して気づいた面白さです。
 
 私も40年近く生きてきて、そりゃあ色々なことがありました。「もうダメ、死んでしまいたい」とか、「これから先、どうせ、いいことなんて何もないだろう」とかって思ったことが、ほんの一秒もない……とは言い切れないような気がする……のですが、「生きていてよかった」と思うことはたくさんあります。こちらに関しては絶対的な自信をもって言えます。
 
 それって、何なんだろう。はっきりと「こうである」とは言えませんが、やっぱり年齢を重ねた分(現実だろうと本の中の出来事だろうと)、感じたことをいい方向に解釈するための材料が増えたからなのかもしれませんね。
 
 だから、結論的に言えば、以前よりもずっと深く感じ入ることができました。
 
 細かく言えば、私自身ちょっとだけ料理ができるようになったことも、あるかもしれません。瑠璃が作るバターレモンソースのパスタ、ちょっと甘めの卵焼き、それに瑠璃の姉が作るフレンチトーストなどのくだりを見ると、「なんだかおいしそう」と思うと同時に「自分でも、やってみようかしら」と思うことがあります。というか、自分である程度具体的に想像できるようになったから、より深く感じたのかもしれません。
 
 ああ、そうか。「自分である程度、具体的に想像できるようになったから、面白くなった」そういうことかもしれません。
 
 もうひとつは瑠璃の姉がバイク乗りだということです。まだ高校生なので普通二輪ですが、CB400Fに乗っているらしいです。私は小型限定ですが……いいんですよ、高速道路に乗れなくたって! バイク乗りって部分では同じですから! とにかくそういう部分で共感できる部分があるからいいんです! でもこれは6年前に読んだ時には覚えていなかったなあ。当時は自分がバイク乗りになれるなんて、夢にも思わなかったからかなあ。
 
 さらに言えば――さっきも言いましたが、私自身が年齢を重ねたことによって、私が本の修理を依頼しに来る大人たちに近づくことができたかもしれませんね。心情的な部分でね。
 
 これは『ルリユール』という小説、それ自体がひとつの物語なのですが、その中にはひとつひとつ、深い物語があります。それは本の修理を依頼に来た人たちの物語です。みんながそれぞれ自分の思い出が詰まった本を持ち寄り、それをちゃんとした形に修復してほしい。その物語を自分のもののように共有し、共感する。
 
 私は文芸評論家ではないので、上手には書けませんが、もしかしたら物語の面白さとか、作家の技量とか、そういうのって、

 「読者をいかに共感させられて、いかにカタルシスに導けるか」

 そういうところなのかもしれませんね。そのためにみんな、色々な技法やアイディアを言葉にして本の中につぎ込み、それを私たち読者は受け取る――そして良いとか悪いとかっていうかもしれませんね。
 
 さて……。
 文芸評論家でもレビュアーでもない私の、ただただ冗長な文章も、そろそろ終わらせることにしましょうか。
 
 果たしてこれが文学的に良いのかそうではないのか、というのは、わかりません。私は別に選考委員でもないし、誰かの文章を批評できるほど文芸に明るくもありません。ただただ凡百な「一般読者」のひとりが、抑えきれない感動を少しでも言葉にしたくて書き上げた――ここまで非常に長い文章になりましたが、つまるところ、そういうことなんです。
 
 最終的に何が言いたいのかといえば、やっぱりこの物語は、すごく面白いです。まだまだ読んでいない作品もたくさんあるし、また時間が経てば変わるとは思うのですが、とにかく2020年現在の率直な感想として申し上げます。
 
 初めて読んだ村山早紀先生の物語は『はるかな空の東』ですが、私が一番好きな村山早紀先生の物語は『ルリユール』です。
 
 だから私はこの物語を、全力をもって皆様におすすめします。kindleだのなんだのといった電子書籍もたくさんあるご時世だからこそ、実際に手に取ってページをめくる必要のある紙の本の魅力。きっとそういうものを、知ることができると思います。
 
 
 
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