アルトとともに生きていく
――私の愛車遍歴(2) スズキ・アルト編






 大学卒業と家の引越しが同じタイミングになったので、とりあえず家の手伝いをして過ごすことにした22歳の私(理由は……お察しください)。先般書いたように、 不幸な理由でわずか2ヵ月のカーライフを終えてしまった私のもとに転がり込んできたのは、白いスズキ・アルトでした(1990年式)。

 この車の持ち主の人はアパートを経営している関係もあって、たくさんの車を所有しているそうで、これもそのうちの一台だそうです。

 「壊れるまで乗っていていい」

 ということだったので、その後4年間に渡り私の愛車として乗り続けました。

 自然吸気、3速オートマチック、5ドア。これといって特筆するべきことが何もない、ごく普通の軽自動車です。ついでにいえば私が借りた時点で、すでに10年以上の 年数が経過していたので、天井の内張りがはがれて垂れ下がっているという無残な状況でした。解体所に駐車したら、そのままスクラップ送りになりかねません。

 ただ、それでも1ヶ月遅れでスタートした私の新社会人生活を支える重要な乗り物となりました。毎日の通勤に、プライベートな日は買い物、さらに趣味で遠出をしたり なんだり。

 特に最初の2年間は、かなり精神的にもつらい時期だったので、この車があったから何とかやってこれた。そういう思いは今でも変わりありません。ちなみに当時は 喫煙者だったので、車内は常にモウモウとしておりました。


 そんなつらい時期を乗り越えて、何とか社会人としてそれなりにやっていけるようになった頃、名義変更を実施。完全に私のものにしてしまいました(もちろん、元所有者の 承諾を得て)。なんか、車としては特に魅力的な、飛びぬけたところはないものの、やっぱり愛着が湧いてしまったのです。壊れても直して乗っていたのです。

 最初の車検時は、ドライブシャフトブーツの破れを始めとする、故障だらけで満身創痍の状態だったために10万円ほどの修理費が発生してしまいました。法定費用込みで16万4000円です。 おかげで今でも故障関係には非常に敏感になっています。

 純正のオーディオも壊れてしまったので、社外品に取り替えました。……この時はかなりアナログというか、懐古趣味があったので、中古パーツ店でたまたま1台だけあったカセットデッキを 買って取り付けてもらいました。今までもカセットデッキで、そこにポータブルCDプレーヤを外付けにして聞いていたのでそれでいいや、というのもあったのです。


 そのことについて書いた当時の日記


 それだけ思い入れがあった車だけに、新しい車・ワゴンRを手に入れてからも手離すことが出来ませんでした。ちょうどこの頃、親父が仕事の関係でそれまでの社用車を 自由に乗り回すことが出来なくなり、プライベートで使う車がなかったので、というのもありますが。

 そんなわけでまさかの2台所有状態になったのですが、私は基本的にワゴンRしか乗らないし、親父も兄者のマーチに乗るようになって、アルトは駐車場の奥で息を潜める ような有様に。そしてそんな状況なのに保険料を通常どおりに払い続けるのは少々つらいということで、車検満了とともに手離すことにしたのでした。


 4年間で7万キロくらい、乗りました。元々6万キロくらいオドメーターが進んでいたのですが、メーターが5桁しかないので、途中でいったんゼロに戻ってしまいました。 まさかの新車誕生です(ワゴンRは6桁、さらに今のマツダ・ファミリアはデジタル表示なので、そういうこともないでしょうが)。車としてはパッとしないごく普通の 軽自動車であったものの、アルトとともに過ごした時間があったから、今の私がある。そう思っています。





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