私とパン屋と戦うお姫様
――富樫倫太郎 「松前の花 土方歳三蝦夷血風録」論


 

 はじめに(前口上―軽い気持ちでお読みください)

 愛刀・和泉守兼定を七星刀ならぬ流星刀に持ち替えて、ベートーヴェンと一緒に現代のニューヨークで悪魔と戦うという『マンハッタン英雄未満』は、相変わらず見つかっていませんが、WikipediaとかAmazonとかを見ていると、どうやら明治8年の時点で渡米していたことが明らかになりました。一般的には土方さんは腹部に銃弾を受けて死亡したと言われていますが、腹部じゃなくて頭部に銃弾を受け、そのうえで生きながらえた代わりに記憶を失ってしまい、なんやかんやで明治8年に渡米したそうなのです。
 
 そして松本零士先生の『ガンフロンティア』ですか? と言わんばかりの活躍をしているということを知りました。う〜む、これもまた面白そうな話です。これは比較的新しい本だから、もしかしたら、見つけられる可能性もあるかな? はい、逢坂剛さんのシリーズです。
 
 そんな中、今日は富樫林太郎先生の土方歳三蝦夷血風録シリーズ『松前の花』を読みました。
 
 前作? の『函館売ります』を函館の本屋さんで買って、シリーズがあるということを知って、これはどうやら八戸の古本屋で買ったみたいです(ブックカバーがそうだったから)。その次の「神威の矢」は、どこで買ったかわかりませんが、そちらに関しても、もう一度読み直した後で感想文を書きたいと思います。
 
 なお元々は『美姫血戦 松前パン屋事始異聞』というタイトルだったそうです。前作が『函館売ります ガルトネル事件異聞』でしたから、これも改題されて『土方歳三蝦夷血風録』シリーズとして再編成された物語ということですね。
 
 たぶんですけど、これはやっぱりタイトルに『土方歳三』という言葉が入っていた方が商業的に有利だという理由だったのではないでしょうか。なぜそう思うかと言えば、言うまでもなく、私がそういう理由で見つけ、『函館売ります』を実際に買ってしまったからです。そしてこの『松前の花』も『神威の矢』も買ってしまったからです。この時点で、まんまとハマったわけですが、良く言えば、それは非常にありがたいことでもあります。
 
 今でこそAmazonなんかは過去の購入データとかから「あなたへのおすすめ」とかってリコメンドしてくれますが、基本的に私は古い人間ですからね。やっぱりタイトルなんですよ。検索してアレコレ探し出すこともしますが、
 
 「古本屋に行って、本棚をざっと眺めて、ピンときたタイトルの本を手に取る」
 
 という……およそ一般人には理解できないような方法で新しい本を見つけるタイプですから、こうやってタイトルに「土方歳三」という言葉が入っていると、それがどんなのでも手に取ってしまうんですよ。
 
 そんなわけで『松前の花』そろそろ本編に切り込んでいこうと思いますが、その前にひとつ。
 
 この物語では、土方さんは主人公ではありません。タイトルに『土方歳三蝦夷血風録』とありますが、土方さんが全編にわたって大活躍する、というわけではありません。でもやっぱり――まるで物語が、土方さんを際立たせるためのサイドストーリーであると言っちゃいそうになるくらい、土方さんの存在感がある。そんな物語です。
 
 というわけで、いかに私が傾倒しているかを存分にご理解いただいたという前提で、本編について切り込んでいきたいと思います。はい、ここから本編の紹介に入ります。……一応、結末までベラベラと書き連ねるような無粋はしないよう心掛けておりますが、なにぶんにも下手な書き手ゆえ、もしかしたら、これから読もうとする方の興を削ぐような言葉があるかもしれません……その部分をご理解の上、以下の文章をお読みいただければと思います。まあ「書評」ではなく「感想文」ですから。そのあたりは大目に見てください。
 

 幕末パン屋伝


 物語の最初に出てくるのは、松前にある和菓子屋の若き職人・小野屋藤吉です。店は小さいながらも腕はよく、それなりに評判のある和菓子屋ではあるものの、最近の動乱によって和菓子どころじゃなくなってしまって、商売にはならないけど腕を錆びさせないために――そして自分のモチベーションを切らさないために、あんこ作りを日課としている……そんな一庶民です。妻は身重だし、これからどうしたもんかねえ、ってなところに思いがけない風雲が舞い込みます。
 
 「パンを作ってくれ」
 
 そんなことを言われるんです。
 
 和菓子屋に来てパンを作れもねえだろう、って話なんですが、逆に言えば、和菓子屋だろうと何だろうと、そう頼まざるを得ない状況にあるんです。頼む方は。それはいったい誰なんだ?
 
 それは最近函館にやってきた旧幕府軍――蝦夷政府のなかで松前奉行という役職にあった『人見勝太郎』さんです。これから新政府軍との戦争になるから、前線で戦う兵隊たちの戦闘糧食がほしい。それにはどうやら握り飯よりもパンってやつがいいらしい。だから頼む――つって、わざわざご本人が店に来て頼んだんです。
 
 実際のところ藤吉自身、パンっていうのが何なのかは知ってるけれど、作ったことはないんですよね。それでも、成り行きで作ることになってしまって。それじゃあ仕方ねえ、つってとにかく頼れるつては全部頼り、パン作りのために奔走する――と、まあ前編はそんな感じです。いや全部が全部そうだってわけじゃないんですが、とにかく「どうやったらパンっていうやつは作れるのか」ということが最大のテーマです。
 
 何せ物語によれば、パンを作るために絶対必須な要素『パン種』は門外不出、それを自分のものにするためには譲り渡す職人が一生食うに困らないだけの金を支払うか、あるいはその職人のもとに弟子入りして技術を「盗む」か……それくらいしなければいけないくらい重要なものであったといいます。今もそうなのかな? と一瞬思いましたが、これだけの情報化社会だし、そんなわけありませんよね。
 
 閑話休題。
 
 いくら非常時だからとはいえ、なんで人見さんも和菓子屋にパンを作ってもらおうと頼んだのか? というと、そこにはとある女性の推挙があったからです。それは一般庶民たる藤吉が「お姫様」と慕う旧松前藩の重臣の娘「蘭子」の存在があったからでした。
 
 
維新純情伝


もうひとりの主人公『蘭子』は、旧松前藩の重臣の娘です。もともと男勝りの性格で、決しておしとやかだったというわけではないのですが、維新の動乱が彼女の人生を大きく狂わせます。
<BR> 彼女の父親は先述したように旧松前藩の重臣だったのですが、政治的な理由により暗殺されてしまいます。蘭子は母親ともども何とか生きながらえるのですが、その母親も心労により間もなく病死。天涯孤独となったお嬢は自分の父親を殺した同じ松前藩の旧臣への敵討ちを果たすことだけを生き甲斐とし、髪を短く切り、洋装の軍服に身を包み、箱館政府への協力を申し出て……ということになります。

南部盛岡藩(岩手県)出身のいぬがみは、ともすれば「函館→土方さん」というイメージに直結し、土方さんと箱館政府の目線から当時の歴史を見てしまうのですが、一方の松前藩の人からしてみれば……また違う感覚があるわけですよね。そのあたりの経緯とかは、この『松前の花』を読んで感じ取りました。

今でこそ倒幕とか維新とかっていうのは「歴史の出来事」であって、つらつらと文字上で「〇〇年に、こういうことがあった」つって事実を知り、さらに突っ込んだところで良かったとか悪かったとかって論評をできると思うんですが、その当時に、その当地の人にとって見れば……と視点を下ろしてみれば、それは……なんとも言えないですよね。

 という前提で、もう一度、視点を物語の中に戻します。
 
 豪放磊落、一般庶民からしてみればおよそ役人らしくない人見さんにパンを作れと言われ、最初は「どうやって断ろうか」と考えていた和菓子屋藤吉でしたが、旧松前藩時代から「お姫様」と慕ってきた蘭子が、それほどの覚悟をもって蝦夷政府に身をゆだね、さらに自分を頼っている……となれば、
 
 「これに何とかして応えたい」
 
 と決意を改めます。……そして和菓子屋のパン作り奮闘記が始まります。これが前編です。
 
 幕末から明治にかけての激動の時代にあって、戦いに身を投じた女性と言うと、先ごろ大河ドラマにもなった山本(新島)八重を思い出しますが、蘭子に関しては、ちょっと違う感じがします。確かに「戦う女性」という部分では共通するのですが……。
 
 それはたぶん、会津藩という、全国レベルで見ても特に「士道」というものを重んじた土地に生まれ育った八重に対して、蘭子は動乱のさなかで両親を失い、その敵討ちを生き甲斐とする……というところの違いでしょうね。
 
 「本来は、戦うべき人ではない」
 
 蘭子「お嬢」は、そういう思いが――言い換えれば悲壮感が付きまとうのです。
 
 そしてこの『松前の花』とは、そんな彼女にかかわることになった男たちの物語なのです。ひとりは和菓子屋の藤吉ですが、残りは――。
 
 
 江戸っ子友情伝
 
 
 前口上でも述べましたが、本作は『土方歳三蝦夷血風録』シリーズと銘打っているものの、土方さんはあんまり出てきません。要所要所に出てきますが、主な登場人物は藤吉と蘭子お嬢、そして人見勝太郎さんと盟友・イバハチこと伊庭八郎さんです。あ、イバハチっていうのは「幕末観光ヒジカタ君」で初めて伊庭八郎さんのことを知ったので、愛称としてそう呼ばせていただいているだけです。
 
 物語の主な舞台は函館ではなく松前ですから、基本的に松前の責任者である人見さんは当然、出番が多いです。パンを作ってくれと頼むのも人見さんなら、そのためにアレコレ尽力するのも人見さん。いきなりポンと土方さんたちの前に現れた蘭子お嬢の身元引受人として名乗り出たのも人見さんなら、そのあとずっと面倒を見ていたのも人見さん。とにかく人情味あふれるかたです。
 
 そんな人見さんの相棒? というべき存在がイバハチさん。お互いにまだ20代のころ幕府の軍隊のひとつ「遊撃隊」としてともに戦い、その後一時的に分かれたものの再びこの函館の地で合流した二人が、この物語を引っ張ります。
 
 「伊庭は義勇の人、人見は知勇の人」
 
 そう評する向きもあるようですが、物語の中の人見さんは……うん、改めて言いますが、とても人情味あふれる人です。とにかく酒好きでご陽気な性格、ワイワイと大騒ぎするのが大好きで、時としてKYなほどに笑い転げて周りの人たちをドン引きさせてしまうこともあります。そして、それをビシッと戒めるのが、まじめで一本気な生粋の江戸っ子・イバハチさんなんです。
 
 先だって読んだ『散華 土方歳三』でも、江戸っ子らしいサッパリした性格のイバハチさん。同じような性格の土方さんとは似た者同士で気が合ったようですが、違ったもの同士の人見さんともなかなか気が合ったようで……まあ、こちらは「喧嘩するほど仲がいい」という関係であって……時に周りがハラハラするほど激しい応酬を繰り広げるものの、すぐにお互い何事もなかったように笑いあっている、と。そういう関係として描かれています。
 
 
 悪口ぶっきらぼう人情伝・土方さん
 
 
 さて、ようやく土方さんの話をします。

とはいえ今回は先述した4人の物語であるため、土方さんはわき役なんですけどね。実際のところ土方さんは宮古湾(岩手県)に行ったり二俣口に行ったりと転戦転戦で忙しいし、物語のヒロインである蘭子お嬢と会うのもそんなに多くないし。そして会ったところで人見さんのように愛想よく話しかけるわけでもありませんし。

「女に戦いなんて、できない。
 敵討ち? そんなのやめちまいな」

これは引用ではありませんが、大体こんな感じのことを言い放ちます。当然、気丈なお嬢・蘭子さまはムッとしてしまいますが、もとよりそんなのはどこ吹く風の土方さんですからね。言いたいことだけ言って、プイっと去ってしまいます。

もちろん、それは自分の思っていることを上手に表現できない土方さんなりの思いやりであって、蘭子お嬢自身が周りに言おうとしない病気を、「かつて同じ病気で命を落とした仲間を見ている」ことから見抜いたうえで、「命を無駄に散らしてはいけないよ」というメッセージだったんですね。まあ、だからといって敵討ちをすぐにあきらめる蘭子お嬢ではないのですが……。

それ以外は、相変わらずフランス人軍事顧問ブリュネーさんにまくしたてられて辟易したり、榎本さんにワインを薦められて不承不承飲んだり……と、前作『箱館売ります』と同じような場面があった土方さん。繰り返しますが、これはパン屋とお姫様、それに人見さんとイバハチさんの物語ですから。土方さんは脇役なんです。だから直接的に物語に出てくることは少ないんですが……

……それでも「土方さんの物語」と思ってしまうのは、タイトルにそう謳っているからか、はたまた私が重度の土方ファンだからなのか……冷静に、一歩引いた目線から見れば、そういうことなのかもしれません。


 「戦争はむなしいものだなあ」(byスネ吉兄さん)

 と、前編はパンを作ったり宴会で盛り上がったりする余裕もあったのですが、物語の後編になると、戦況の悪化とともに戦争のシーンが多くなります。というよりもこの頃は経済封鎖により原材料が高騰はたまた枯渇し、パン作りどころじゃなくなってきたんですよね。いよいよもって蝦夷政府を撃滅するべく、新政府軍の軍勢が押し寄せてきます。それは身重の妻を守って生き延びなければならない藤吉と、どうやって自分が納得いくように死ぬかを模索する蘭子お嬢・人見さん・イバハチさんとの距離が少しずつ開き始めることでもあるのですが……。
 
 さて箱館戦争といえば土方さんが指揮を執った「二股口の戦い」がクローズアップされがちですが、すでに申し上げた通り、この物語は松前奉行・人見さんとイバハチさんと蘭子お嬢の戦いの物語ですから、江差〜松前あたりの戦いが後編の主な舞台です。二股口の戦いと言えば土方さんの作戦と兵隊さんたちの奮戦により戦術的には持ち場を守り切った「天性の喧嘩師」面目躍如……というところですが、この江差〜松前の戦いはちょっと様相が違います。
 
 もちろん人見さんもイバハチさんも、個人の戦闘能力は第一級ですし、鳥羽・伏見の戦いからずっと前線で戦い続けてきた戦闘経験豊富な人たちでありますが、いかんせん絶対的な戦力差は埋めがたいものがあります。頼みの沿岸砲台は旧式で海の向こうの軍艦に届かず、反対に新政府軍の軍艦の大砲は新式ですから、威力も射程距離も完全に上回っています。結局、手の届かないところからボカボカやられたら、どうしようもないのです。これは大砲が飛行機の落とす爆弾になり、ミサイルになった現代でも、同じことだと思いますが……。
 
 そういうわけで後編の物語の展開と言うのは、とても胸の詰まるような感じです。ずっと戦い続けてきた人見さんとイバハチさんはともかく、時代の奔流に巻き込まれ、「どうせ死ぬなら父の仇を取ってから」と悲壮な覚悟を胸に戦場に身を投じた蘭子お嬢は……すぐそばを銃弾が飛び交い、爆風が巻き起こり、次々と人が死んでいく戦場にあって、どうなってしまうのか……そして何を思い、どうするのか……。
 
 ……さて、結末がどうなったかについては、触れないでおきましょう。それは実際に読む人のお楽しみです。
 
 
 
 
 とりあえず、この項目を締めくくるために、まとめます。
 
 幸せなことに、いま私たちが生きている日本という国は、1945年に「終戦」を迎えて以来大きな戦争に巻き込まれることなく、色々あるにしてもおおむね「平和」な時代を過ごすことができているわけですよね。
 
 それゆえにあふれかえった情報を、だれでも自由に見ることができる。そして、それについて賛否両論、好き勝手なことを言うことができる。本当に、平和で自由で素晴らしい国だと思いますよ日本って。だってせいぜいインターネット上で、顔も名前も知らない人から誹謗中傷されるくらいでしょう。いきなり誰かが家に来て、連れていかれて、二度と日の目を見ない……なんてこと、ありえないんですから。

 そういう、平和な時代を生きていることを前提に、言います。
 
 どんな時代だろうとどんな場所だろうと、戦争が起こって一番ワリを食うのは女子供だって。その次は非戦闘員なんだって。もちろん兵隊さんだって、誰でも死にたくないと思っているでしょうし、同じくらい殺したくないと思っているでしょう。だから私はどんな理由があっても、戦争なんて無い方がいい。そう思っています。
 
 それと同時に、やっぱり――自分で納得いく生き方をして、果ててしまった人たちは、「それはそれで幸せだったのかなあ」と思います。遺された人たちは、せめて、そう思うことが故人への思いやりなのかな、とかって。
 
 なんか、よくわかりませんが。
 
 
 ともあれ、今度――松前まで行く機会があったら――蘭子お嬢のことを空想しながら、歩いてみたいと思います。
 
 きっと、とってもきれいな「松前の花」だったのだろうなあ、ってね。
 
 
   



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