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私と命 齋藤智裕 『KAGEROU』論


 どういうきっかけで手に取ったかといえば、それはやはり「水嶋ヒロが書いた本だから」手に取った、ということです。これが名も知らぬ新人作家のものであったなら、 少なくとも発売日にいきなり初版本を買う、なんてことはなかったと思います。

 ついでに言えば、私が水嶋ヒロという俳優をそれほど好きでなかったとしても、やっぱり手に取らなかったでしょう。

 まあ、こんな仮定の話をしても仕方がありませんよね。とにかく水嶋ヒロという名前で俳優活動をしていた齋藤智裕人の処女小説が、ポプラ社の文学大賞を受賞した。 そのニュースを見て私が手に取った。読んでみたら『エリノア』を読んだ時のような衝撃と感動と深い読後感を味わった。そしてその感想を忘れたくないからこんな 文章を書いた。そういうことです。

 偶然ではなく必然。そうなのかもしれません。運命といえば、話が早いですね。

 面白いなと思ったのは、この本の主人公も、同じようなことを考えていること(これは私の勝手な妄想だと思いますが)。最初は「自分と違うタイプの人間だ」と 思っていたのに、こちらから歩み寄ったわけでもないのに少しずつ考えがシンクロしていって、いつのまにか完全に主人公の目線で物語の世界を歩いている。そんな 自分に気づいたのでした。


 書評、じゃなくて読書感想文というと、ついあらすじをその都度引っ張り出しながら進めていってしまうものですが、そんなことをしてこれから読まれる方のせっかくの 楽しみを台無しにしてしまっては申し訳ありません。ですから毎日jpに掲載されたプロの人のレビューと、本の帯に書かれている内容紹介を参考にしながら、慎重に 感想を書きたいと思います。


 まず、主人公であるヤスオは40歳。仕事もなければ貯金もないし、もはや生きていく意志もない。ということで廃墟と化したデパートの屋上から飛び降り自殺を 試みます。これが最初のチャプターです。

 ところが、これからまさに飛び降りようと金網を登っている時に、いきなり背後から声をかけられます。その声の主はある団体のエージェントで、真っ黒な服に 身を包んだ、いかにも不気味な男でした。少なくとも道徳的な理由で、男に飛び降り自殺を思いとどまらせたわけではないのです(このあたりは、毎日jpでも 触れていないので、私も触れません)。

 結局、ヤスオはその場でビルから飛び降りることを中止し、その代わり男とある契約を交わします。

 ただし既に述べたようにこのヤスオという男、つい先ほどまで自殺しようとしていたくらいなので、「これから人生をやり直すために、いっちょやってやるか!」 などと意気揚々、なんてことは、まったくありません。男と交わした契約を履行するその日まで、流れるように時を過ごすだけなのです。

 もしかすると、そういうところに私の気持ちが少しずつ共感できたのかもしれません。「ああ、かっこいいな、こういう風になりたいな」とか、「いや、おれは こんな風になりたくないな」ではなく、「ああ、そうだよね」と受け入れてしまえる心地よさ。構えることなくスッと受け入れてしまうヤスオの生き方。

 まあ、それは毎日jpの書評の言葉を借りると「会話を中心とした構成が巧みなため」なのかもしれません。それならそれでよろしい。そうだとすれば私だけでなく、 たくさんの人が同じような心地よさを感じられるのでしょうから。


 この小説のテーマは『命の価値』。命とは何か、人を人たらしめているものは何か。生きるとはどういうことなのか。何のために生き、そして死ぬのか。……

 哲学とか宗教ならとてつもなく重いテーマです。でもこの小説は、とてもわかりやすい文章でそれを語っています。何よりもヤスオの言葉が妙に軽くて、本当はすごく シリアスな場面なはずなのに、いきなりダジャレとかオヤジギャグを飛ばして空気をかき回す(スベる、ともいう)場面がよくあります。

 最初はそういうのを、「緊張感がないなあ……」とかって言って、あまりよしとしませんでしたが、物語が進んでもその基本理念はブレないんですよね。そして、 そのおかげで本当なら重く、また暗くなりそうな場面でも、そうなることもなく、最後までスーッと読める作品になっています。40歳の割に若いんですよね、『脳』が。


 ここからは私自身の話なのですが、最近ちょっと気持ちが弱くなっていたんですよね。色々、うまくいかないことばかりで。

 これはずっと前からそうだったのですが、こういう、気持ちが弱くなる時って「自分は誰からも必要とされていないんじゃないか」妄想に取り付かれちゃうんですよね。 普段はいっぱい仕事したり、誰かのためにがんばったり、自分自身の身体を鍛えたりして、「そんなワケねえだろ!」と突っぱねるのですが……その心の内圧が下がると、 抑えつけているものが、内側の方に染み出してきて……気持ちがつらくなってしまうのです。

 あとは、去年、自分に身近な人が何人か亡くなって、生きるの死ぬのということを少し現実的に受け止められるようになったためというのも、あるかもしれません。 受け止められるようになったというか、考えられるようになった、というか。

 それまでは、もちろん死ぬということがどういうことなのか、なんて、わかっていましたが……実感のない、知識としてのイメージしかなかったんですよね。だから フィクションの中でたくさん人を殺したり、反対に何度も殺されたり。綾波レイではありませんが「死んでも代わりはいるもの」という感じでした。


 そういう下地とタイミングがあったから、なのかな。ヤスオの軽い言葉に(最初はともかく)手を引いてもらいながら同じ時間を過ごし、 途中で出会った人に温かい感情を抱き、最終ページを読み終えた後には思わず目を閉じて天を仰ぎ「ああ、よかった、(おれも、たぶんヤスオも)救われた」と、 思わずつぶやいてしまったのでした。


 以前『エリノア』の感想文を書いた時のように、あんまり他の人の書いたレビューを読まず、自分の感想を、ということで一気に書いてみました。私はプロ書評家では ないので、この文章じたいは何の参考にもならないと思います。

 でも、私はものすごく面白いと思った作品ですし、誰かに読んでほしいという気持ちもたくさんあるので、こうして文章にしました。

 水嶋ヒロだから、ポプラ社文学大賞の本だから、売れまくってるから(発売2日で68万部!)。この際、手にとって読む理由はなんだっていいと思います。でも、逆に 「そういう理由で」手をつけないのであれば、それはちょっともったいない気がします。

 だから、これをきっかけに少しでも興味を持ってくれれば最高です。

   



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