クルマはキカイ、キカイという生き物
――それ以上でもそれ以下でもない存在

 
クルマを擬人化する奴っているよナ
たとえば――売ろうとしたらすぐスネたようにコワれたとか・・
オレはキライなんだヨそうゆーの
売られようとする車はすでにオーナーの心は離れている
ゆえにろくに整備メンテもされてない
当然コワれる確率は高い
機械がトラブる必ず原因がある
ただそれだけ

(8巻 赤坂ストレートBより)
 私にとってこの言葉はとても重いです。車が好きで、その車を運転する人間として、そういった考え方は、決して忘れちゃいけないなと思っています。
 
 というのも、かつては私も『クルマを擬人化する奴』だった過去があるからです。まだ免許を取って1年か2年しか経っていない頃というのは、とにかく自分の思い通りに走ってくれる車のことがいとおしくて、

 「オレがこんなに愛しているから、お前もそれに応えておくれ」
 
 そんな風に考えていたのです。それに対して色々と感じるところはあろうかと思いますが、そういうことだったんです。傷つけば心が痛むとか、そういう次元ではなく、感情論で車の調子はどうにかなると思っていたフシがあるのです。
 
 
 そういった思いは、乗り手としての経験を積むにつれ、徐々に薄れていきました。でも、それは車をちゃんと機械として捉えていたというよりも、そもそも車に対するアツさが薄れていただけなのかもしれません。
 
 「まあ、このくらい大丈夫だろう」
 
 って、けっこー無理をさせるようなこともありました。具体的には、かなりラフにアクセルを踏み込んで準備運動なしで高負荷高回転な走りをしたり、遠心力でひっくり返るんじゃないか? ってくらいの速度でカーブを曲がったり、未舗装の砂利道を手加減なしで走ったり。
 
 極端なところでは、地上高ギリギリまで雪が積もったところを無理やり走ってみたこともありました。これがパジェロとかジムニーとかならともかく、ワゴンRでやってるわけですからね。当然ながらスタックして、遭難寸前までいったこともありました(当時のブログ記事)。車が壊れたら日常生活に支障がある、という程度の思いはあったものの、そういうことをさせることには少しも抵抗を感じなかったのです。
 
 そんなわけで、元々査定額なしだったとはいえ、4年間乗り回して手放す時には、誰がどう見ても廃車寸前の状態にまでいっていました。飛び石でフロントガラスにヒビが入ったことは仕方がないにしても、こすった後何もケアしなかったためサビだらけになった左サイドシルとか、オイル漏れで白煙モウモウのエンジンとか、まあとにかくヒドいものです。
 
 こんなになっても大して心が痛まなかったのだから、よくよく私も冷たいヤツだと思います。機械に対して過剰な思いを持たずに接するのは正しいことかもしれませんが、それもまた、今からしてみれば「何か違う」という気がします。
 
 
 で、2012年2月にファミリアを購入、はれて『マツダ乗り』のひとりとなったわけですが、この頃からまたクルマに対する気持ちが強くなりました。擬人化するわけではなく、かといって乱暴に接するわけでもなく。クルマに対してもっともちょうどいい距離感とはどういうことなのか? というのをずっと考えながら走ってきました。
 
 で、先ほどの台詞を言っていた大田サンの娘『リカコ』の台詞に、こんなものがありました。一部抜粋します。
 
 だってキカイって生き物だもの

 自動車だけじゃなく全ての機械も
 ひとつひとつのパーツが組み合わされて動き出した瞬間
 そこにイノチが入って生き物になると思ってるもん  
 もっとも、これは車を擬人化することを肯定する言葉ではありません。この後、こんなやりとりがあります。
 
「‥機械は生き物ってゆーたよナ
 でもソレって機械を擬人化することや ないよナ‥‥」
  
「全然違うヨ
 だって人間は人間という生き物だし 機械は機械という生き物だもん
 全然 別  ちがうものだもん
 思い込むのは勝手だけど 恋人や友達に機械はなれないヨ」  

 大事なことだから二度いいます。人間は人間、機械は機械――思い込むのは勝手ですけど、恋人や友達に機械はなれないんです。車もそうですし、軍艦とか軍用機とかもそうですよ、きっと。
 
 
 ‥‥という私もこのことがわかるまで、10年かかりました。愛情があっても知識がなければ結局機械はコワれるし、その逆もまたしかり。そのあたりを両立させるためには、私にはどうしてもそのくらいの時間が必要だったのです。
 
 今もホームページのタイトルにSUPER FAMIKOとつけたり、ファミ子ファミ子と呼んだりしていますが、私はちゃんとわきまえています。わきまえていればこそ、少しずつ距離が近づいていく気がします。これは擬人化云々というわけではなく、ごくシンプルな『愛称』です。
 
 
 人は人ッ 機械は機械ッ
 どうやっても言葉なんか通じんわナ
 
 だけど――ッ 
 ほんの瞬間 心通じる時はある――
 あった――  
 
 
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