闇に入り、闇より出ず――『花札伝綺』を見て 芝居が始まる直前というのは、まだ場内も明るいですし、どんなもんかなあなんて隣人と話してみたり煙草を吸ったりジョージアテイスティーを 飲んだりしてみるのですが、ひとたび芝居が始まるとなると犬神はその世界に入り込もうとします。これなんて言うのは先日もお話ししましたが、 前回とはまた違った感じがいたしました。 何でかって、今回は寺山修司原作の戯曲『花札伝綺』だったからです。ちなみにそれを演じるのは劇団赤い風の皆様でありました。 寺山修司といえば知る人ぞしる、というかみんなご存知のアングラ演劇作家でございます。高校生の犬神は多分にアングラ志向が強く、彼の こともオーケンを通じて知り、『家出のすすめ』なんかも読みました。すっごい、面白い文章を書く人だなあとは思いました。しかしながらまだ演劇や 映画など、ヴィジュアルでうったえかえて来るものについては触れておらず、今回のオファーはまさに渡りに舟、願ってもないラッキーでありました。 内容は……私が語るなんて野暮なことはいたしません。私の文章力ではどうしたって、その魅力を台無しにしてしまうからです。それでもちょっと だけお話ししますと、これは生ける者と死せる者の仲介を取り持つ葬儀屋団十郎、そしてその娘歌留多を中心にめまぐるしく展開していく物語です。 これ以上は言えません。 でも、これだけで終わったのでは話が続かないので、全体的な雰囲気を少しだけお話しさせていただきます。――私はこれが初体験だったので すが、少なくとも普通の演劇などとはかけ離れており、全体にブラックな感じがいたします。そもそも全体に漂うテーマというのが死という、あまり明るくは ないものでありますが、そのブラックな空気の中で、思わず笑ってしまうような……いわばブラックユーモア的なものがあり、そこらへんが「さすがだな、 上手だな」とは思いました。 隣にいた雄弁な友人は、そのあと死とは何かなんていうことに熱く語っておりましたが、犬神は『花札伝綺』を見た後もそんな大上段に構えては みませんでした。ただあの雰囲気。普通の人が大上段に構えて、深刻に構えてしまうような問題をせせら笑い、高笑い、まあなんでもよろしいですが 斜めから見て冷笑するような、そういう気持ちで聞いておりました。 誰が何と言おうと、このひとの戯曲で訴えかけてくるメッセージをまともに受ける手は(私には)ありません。そういう人間模様の中に入り込みつつもを それを斜め上から見下ろして、楽しみ、少し笑うような、そういう道化のようなスタンスで眺めてみたいと思います。 さて、先に闇より入り、闇より出ず――なんていうことを申しましたが、これというのは何のことはありません。芝居が始まる直前にやってきた暗闇、そして 芝居が終わったあとにやってきた暗闇。それについての気持ちです。 今回はお話がお話だけに、最初はまるで自分が冥土か何か、どこか薄暗くて肌寒い世界に引き込まれていくような感じがし、最後は再びそのような 冥土から現世に引き戻されたような、そんな感じがした。ただ、それだけのことでございます。 で、今こうして自宅に立ち帰り、こうして文字をタイプしているわけですが、どうにもぬぐい難い影響が残ってしまったようです。それが証拠に今回のコラムは、 いつもにまして文章が激しくあふれ出てくるのですが、同時に随分とまとまりのない、なんだか夢遊病者の寝言みたいな感じになってしまいました。 大変失礼いたしました。 |