すげーな、空でも飛ぶんか
――ホンダ・プレリュード(4代目)の思い出

 これまでに乗った車の種類を振り返って、多いか少ないかというと、決して少なくない‥‥とは思うのですが、それは子どもの頃に乗った親父の車とか、そういうのも含めればの話ですね。で、そういった話はしたくないので、必然的にここで語れる車というのは、わずかになってしまいます。
 
 そのわずかな車種の中で、200馬力以上の出力を誇る車は? というと、小学生のころに親戚の叔父さんが乗っていたフェアレディZ(Z31)と今回書くプレリュード(4代目)くらいになります。そしてこのプレリュードは、助手席だけでなく自分でハンドルを握ったこともある唯一の車ということになります。
 
 
 その友人は熱烈なホンダ党で、まだ免許を持っていない高校生の頃から「将来は絶対にホンダ車に乗る!」と決めてかかっていました。そしてそこまでホンダが好きなわけでもない(キライでもないですが)私とは、アアだコウだと議論を戦わせたものです。
 
 その彼が運転していたのが、ファントムグレー・パールの4代目プレリュードでした。
 
 
 Wikipediaによれば、このモデルはスペシャリティクーペの路線から一気に走りに振ったスポーツクーペとしての性格を持っているそうです。その友人が乗っていたのも当然5速マニュアルで、そしてエンジンはVTEC仕様でした。私が運転したことのある唯一の200馬力カーでありVTECカーでもあるのです(カムが切り替わるところまで引き出すことはできませんでしたが。後述)。
 
 最後に乗ったのはもう何年も前なので、少し記憶が薄れているところはありますが、とにかく何から何までカッコイイ! という印象です。スタイリッシュにまとめられたボディ、なんだか未来チックなメーター類(燃料計がデジタル表示なだけでカンドーした)、そして心臓部にはホンダの誇るVTECエンジン‥‥。
 
 そうそう。いま思い出しましたが、この4代目プレリュードのCMにはあのアイルトン・セナが出ていたんですよね。その友人からも100回以上聞かされましたが、これは車好きにとっては何よりも誇れるところでしょう。セナがCMに出ていた車に乗っている。セナが「さあ、走ろうか」と言った車に乗っている。やっとの思いでスズキ・アルト(その時点で16年落ち)に乗っていた私にとっては本当にうらやましい限りでした。
 
 
 止まっているだけでもため息が出るくらいなので、同乗させてもらうのはすごく楽しみでした。
 
 純正カセットデッキを介して流れるオリジナルテープ(ジャネット・ジャクソン「Doesn't Really Matter」〜DA PUMPの「if...」〜『らんま1/2のOP』〜『セクシーアドベンチャー』が続けて流れるケイオス極まりない代物だった)の音楽を聴きながら走り出すプレリュード。自然吸気の2.2Lエンジンは静かに、そしてスムーズに1.2トンの車体を動かします。低中速域ではとてもジェントルな感じがしました(当時の私が乗っていたアルトに比べれば、大体の普通車はそう感じると思いますけど)。
 
 そして――もう10年近く前のことなので、告白しますが――一度だけ、VTECエンジンの高速カムを味わったことがあります。
 
 当時まだできたばかりでほとんど車通りがなかった某所で、普通の県道ではあるもののフラットアウト状態だったので、
 
 「ちょっと体験してみるか?」
 
 と言って来た友人。もちろん私も即OKです。そしてジェントルな顔しか知らないプレリュードのもうひとつの顔が現れました。
 
 猛然とレッドゾーン付近まで跳ね上がる回転計。全身が震え上がるようなエンジンの音。
 
 
 その時、一瞬、フゥア――とフロントがリフトしました。
 
 
 その後にタイヤが地面をしっかりとつかみ、スピードがグングンと上がります。2速、3速、4速とすばやくシフトしていく友人。私のアルトは60キロでも結構苦しそうな声を上げるのに、こちらは一向に加速が終わりません。
 
 たぶん、150キロくらいは出たんじゃないかな。まもなく信号だったか前走車だったか、ともかく何かがあって通常速度まで減速したプレリュード。そのあとはまたいつもの優しい顔でした。
 
 「すげーな、空でも飛ぶんか」
 
 確か、その時に友人に言った言葉が、それでした。そして、それが私の体験した最初で最後の高速側VTECの音であり、フロントリフトでした。
 
 
 *
 
 
 後にその車を運転する機会がありましたが、正直なところ緊張しまくりでした。何せその頃は軽自動車しか運転していなくて、普通車の車両感覚がまったくなかったからです。それでもやむを得ず運転する羽目になったので、とにかく事故らないように傷つけないようにガチガチになりながら運転しました。後に「道を走る時すごく左側に寄っていて、こするんじゃないかと心配だった」と友人に言われましたが、そういうことなんです。
 
 また、彼が車格を上げてレジェンドに乗り換えると言った時、私にそれを譲ってくれるという話もありましたが、当時の私には3ナンバーでハイオク仕様のそれを維持するだけの基盤がなかったので、涙を飲んで見送ることにしました。もし無理して譲り受けていたら、きっと今は別な人生を歩んでいたことでしょう。