#1 「私の周りのマツダ乗り」



 親父の話をするのは嫌なんですが、私の中に流れる愚かな血というか、呪われし血統というか、忌まわしきルーツというか・・・・そういうものを認め、乗り越えるために、書きます。
 
 私の親父は破綻者です。あまり詳しくは書きませんが、そんな親父を私は快く思っておりません。
 
 親父はかつては新車をローンで買い、そのために家には生活費を一切入れず、そのローンがやっと終わると思ったらまた次の新車に乗り換えるという生活をしていたそうです。そのせいもあって母親は大変な苦労を味わってきたといいます(今も別な意味で苦労してますけど)。
 
 アルトとかワゴンRといった、特にこれといった面白みのない車に乗っている間は、そういった血を少しは薄めることもできたのですが、今はもう手遅れです。遺伝子レベルで刻み込まれたこの車好きの志向は、ファミリアファミ子との日々でいっそう濃くなりました。魅せられた者たちは、もう、いくところまでいくしかない・・・・。
 
 というわけで、そのためにも、まず身内のことから整理したいと思います。
 
 
 かつて親父が自分の車遍歴を誇らしげに語り、それをワクワクしながら聞いていた時代がありました。それは私が実際に助手席で体験した車もあれば、話にしか聞いたことのない車もありました。
 
 その1台が、親父が『プレストロータリー』と言っていた・・・・ファミリアクーペです。なんという奇縁か、40年前の親父もファミリアに乗っていた時期があったんです。しかもロータリー!
 
 さらにその次だったかな? には、サバンナGTに乗っていた時期もあったそうです。どちらかというと『湾岸ミッドナイト』で若い頃の大田さんが乗っていたイメージがありますが(つまり昔のボーソー族のイメージ)、このあたりから、うちの親父がどういう系統の車好きか想像していただけたと思います。
 
 曲がらないし止まらない なのにパワーだけはある
 RE車ってのはずっとそうだったわけヨ
 乗ってるヤツもむつかしーコトはいわねえ アホーばっかで
 
 そのあとはスバルレオーネとかブルーバードとかクラウンステーションワゴンとかを乗り継いだ挙句、今は兄者のマーチを我が物顔で乗り回すという有様です。以上です。


 あとは、親父の兄の息子・・・・要するに私からしてみれば従兄にあたる人もよくよくRE好きのようで、かつては赤いアンフィニRX−7(FD3S)に乗っていました。いつもピカピカに磨かれていたのですが、何せ周りに田んぼしかないような田舎の農家の駐車場に「それ」ですからね。なんか不思議な感じでした。
 
 結構そのFDも長いこと乗っていたようですが、2〜3年前からそれがRX−8になっていました。それほど仲が良いわけではないので、どういった経緯で手に入れたのかとか、どんな動力性能なのかはぜんぜん知りませんが、とにかく手を伸ばせば触れるような場所に「それ」はありました。でも「それ」は「ただ、そこにある」だけで、いつまでも嫉妬の対象でした。
 
 
 マツダの魂といえばロータリーエンジンである、ということは非マツダ派の人も認めるところだと思います。世界中の誰もが実用化をあきらめたREを技術と執念で実用化し、オイルショックや何やといった社会的事情とも何とか折り合いをつけ、ついにはル・マンで総合優勝を勝ち取ったストーリィはちょっとした『プロジェクトX』です(実際にテーマとして取り上げられたこともありましたよね)。
 
 真にマツダを愛するのなら、こんなフツーの量産車なんかに乗らずロータリーの車に乗るべきだというのは、ごもっともだと思います。
 
 でも、そうじゃないんですよね。
 
 ごくフツーの直列4気筒エンジンを搭載したファミリアで『マツダ好き』を貫き通す。いい車だからとか速い車だからとかではなく、マツダ車だからこれに乗る。それでこそ親父や従兄を超えられるような気がするんですよね(何をどう超えるのかは本人もイマイチわかっていない)。そのためにも、これからも私はファミリアS−WAGONでいきたいと思います。