かっぱを探して、私が見つけたもの――
平成24年度 盛岡第一高等学校演劇部・春季公演演劇『かっぱさがし』
とその感想に関する小文
演劇というのは、見終わった後、すごくさびしい気持ちになってしまいます。
つい先ほどまでは、私の日常とは違う世界にいられたのに、幕が下りると急にいつもの私の日常が戻ってくる。
さっきまで見ていた世界にいた愛すべき人たちも、
不思議な出来事もない私の日常。一言で言えば『平凡』な日常。
「あー面白かった、じゃあまた今日から生きていこう」
そうやってすぐに気持ちを切り替えることができればいいんですけど、
これでも結構文科系な青春を送ってきた犬神、それがなかなかできません。こういうのが
すごく好きだからです。
そういうわけで、私が垣間見たあの世界とこの世界とを橋渡しするために、
この文章を書かせていただきたいと思います。
*
かっぱという存在は、確かに岩手県民にとってみればなじみのある(?)存在ですが、
それを実際に探そうとする人はなかなかいません。見れば幸せになれるそうですが、正直、私たちの世界とは
別なところにいるんじゃないのかな。そんな風に私も考えています。
しかしながら、それを大真面目に探す少年たちが北上川のほとりにいました。
『真茶郎』とその友人『与土彦』のふたりです。物語は彼らのやり取りから始まります。
「本当にかっぱなんているのかなあ?」と、ちょっと懐疑的(常識的とも言う)なスタンスの与土彦に対し、
「絶対にいる!」と信じて疑わない口ぶりの真茶郎。とはいえ朝からず〜っと探し続けても、まだ見つからない。
さすがにそろそろ帰りたいそぶりを与土彦が見せ始めたころに、現れたのはかっぱの『かぱ介』!
……と自称する女の子……でした。
かっぱというと、今みなさんが頭に思い浮かべたとおり、緑色で甲羅を背負っていて……というものですが、
それは誰かが吹聴したデマカセだと一笑に付します。実際には私たち人間と同じように甲羅もないし服も着る
らしいのです。
かっぱ自身がそう言うのだから、そういうものなのだろう。と一瞬だけ納得しかけたものの、そうなると
水木しげる先生や柳田國男の『遠野物語』などで培ってきた私の知識が根こそぎ崩壊してしまうのでね。
とりあえずかぱ介の主張は受け止めつつ、結論は出さないでおきましょう。
この演劇の中で、とても魅力的だったのは……まあ、魅力的だったのはみんなそうだったんですが、物語を
強力に引っ張っていたのは『OCHE探偵社』の面々と、その近くにある食堂の店員『多田』でした。
『生まれながらの探偵体質』と言われる探偵・チェロとその助手ヴィオラ、親の反対を振り切って絵描きに
なるために上京したのに挫折して帰郷するという一番厳しいパターンを乗り越えてきたバイク乗り・トロンボーン、
そしてそんな社員たちをまとめる社長・タクト。全員が女性で、なおかつ変人……い、いや、特殊な世界で
生活しているスペシャリストらしい人間性を持っています。
そしてこの探偵社のもとに、家出した子ども『チャーちゃん』を探してもらいたいという依頼を持ち込む
『桑子』……の初期対応を受け持ったのが、なぜかその場に居合わせた食堂の店員である多田だったのでした。
週6日食堂に勤め、日曜日は釣りに行く――そんなごく普通の社会人らしいサイクルを送っている多田ですが、
これがまた主役に迫る勢いで物語の中飛び回っているんですね。
とにかく恋多き男で、初対面の桑子に気があるかと思えば、5分後に出会ったトロンボーンにもご執心の模様で。
節操がないといえばそうなんですが、独身男性の社会人というシチュエーションもあいまって、一番感情移入して
しまいました。さすがにそこまで女性に対して積極的ではありませんが。
物語が進むと、それまで別々の場所で展開していた真茶郎たちと探偵軍団の面々が、ひとりの少女(で自称河童)
をキーに結びつきます。実は桑子が探していた家出娘が、真茶郎と一緒にいたかぱ介ことチャーちゃんこと
「チャコちゃん」だった、ということです。
家出娘と母親との再会。どんな状況にあっても娘を愛する母親の気持ちを見せ付けつつ、まずは一件落着。
桑子から依頼の報酬も受け取り、探偵社としてもこれで物語は終了です。
……ただ、それで終わらないのが真茶郎の物語。
そもそも河童探しに朝から取り掛かったのは、彼の姉が彼氏を家に連れ込むという理由で追い出されたため。
ある意味、真茶郎も家出状態だったのです。ただし彼の場合は、かぱ介のように探してくれる親もいなければ、
与土彦のように早く帰って来いと携帯に何度も留守電を入れる親もいない。だからといって探偵になりたいと
申し出ても社長のタクトに完全論破され。行き場を失った真茶郎は一人で踊ったり歌ったりと、切ないアリアを
演じます。
(参照:男はつらいよ#寅のアリア)
まあ、そんな真茶郎を救ったのは、いつも彼の後ろをついていったちょっと弱気な親友・与土彦が見せた強気な
思いだったのですが。
「真茶郎にとっては平凡でも、僕にとってはうらやましいくらい特別な日常だよ」
「そんな社交辞令なんていらねーんだよ」
「違うよ。真茶郎に社交辞令なんて使うわけないじゃん。……友達だから!」
……小学校、中学校と同じ校舎で過ごし、4月からは別々な高校で別々な日常を送ることになった二人では
ありますが、その友情はこれからもずっと続きそうです。
最後は、真茶郎の姉が自分の事を探している、ということを与土彦から聞き、再び家に戻るところで物語が
終わります。
そして本編が終わったあとは、エンディングテーマの流れる中、登場人物のその後を動きだけで見せるという……
映画のスタッフロールみたいなシーンがありました。それをここで書いていいのかどうかわかりませんが、一応
ちょっとだけ書きます。
・桑子から手渡された報酬の中身は『きゅうり』だった(!?)
・トロンボーンに同時に告白した多田と与土彦
・その結末は「ゴメンナサイ」だったが、すぐさま気を取り直してもうひとつの花束を手に
桑子のところへ向かった(!)多田
・その多田から受け取ったと思われる花束を片手に、
かぱ介と反対側の手をつないで去っていく桑子
・その途中で立ち止まり、何事かを大きな声で呼びかけたかぱ介
・そして……かっぱを見つけたことを高らかに宣言する真茶郎
*
……事実とちょっと違うところもあるかもしれませんが、とりあえず書き起こしてみました。
私はすでに彼らの2倍ほどの時間を生きてしまいましたからね。どちらかというと多田さんとか探偵社の社長
さんとかに近い年齢だとは思うのですが、その一方で結構若いところもあるので、両方の言い分がわかるのです。
何にでもなりたいし、何にでもなれそうな15の春。映画やテレビドラマの主役になりたい思春期。そのころの
要素も数パーセント残っているので、その気持ちはよくわかります。
その一方で、なかなかそうはいかない現実。特殊な職業に就くためには特殊なスキルを持っていなければ
いけないし、色々なものを手放さなければならないという重さ。そのことを物語中もっとも完璧に近い大人・
タクト社長は言って聞かせます。
たとえば、チェロの『生まれながらの探偵体質』というのは、社長が言うには本人の意思とは関係ないところ
で身の回りの人たちが被害者になったり加害者になったりするんだそうです。きわめて難儀なものです。
トロンボーンもそうですし、詳しくは語られませんでしたが、中学を卒業してすぐに探偵社に就職したヴィオラ
もまた、何かしら背負っているものがあるのでしょう。
そういった特殊な人が生きていくために、自分が雇っているのだとタクト社長はいいます。
「まだ何も失っていないのに、わざわざそれを失うようなまねをすることはない(大意)」
けだし正論であります。私もそう思います。夢を追いかけて夢に挫折して無職状態を経て今の会社にもぐりこんだ
私はあまり強く言えませんが、平凡な人生ほどいいものはないと思います。特殊な人たちの世界は、時々ちょっと
それを垣間見るくらいでいいのかもしれません。
当たり前のように友達がいて、家族がいて、学校生活があって。それでいいじゃないですか。
そんなことを目の当たりにし、改めて感じた。そんな演劇でした。
そういう意味で、私もかっぱに逢って、幸せな気分になれたようです。
じつに、今回は9年ぶりに見た演劇でしたが、非常によかったです。ずいぶんとナマな感情を書き連ねて
しまいましたが、そういった感情を意識の表側に引っ張り出してくれるのが演劇だとすれば、私としては
大満足です。もちろん社交辞令ではありません。心からの言葉です。
きっかけを与えてくれた一高演劇部の皆さんに、最大限の感謝を。
そして「ときめき」を思い出させてくれたことに、ありったけの花束を。
おまけ:
後に聴いたところ、テレビ岩手で大絶賛放送中の特撮ドラマ『ガンライザー』で早池峰ケンジ役を演じられている
俳優さんも見に来ていたそうです。
いわく、もともとは盛岡一高演劇部の出身であったとか。いやぜんぜん気づきませんでしたが、
そういった有名な人と同じ空間にいられたことはラッキーでした。
また、今回の演目のパンフレットと一緒にいくつか別な公演のチラシももらいました。その中には、同じように
高校の演劇部の公演もあります。フムフム……もしも休みの日が合いそうなら、はたまた早番の日なら、ぜひとも
行ってみたいものです。
まあ、今回は弟者に誘われたという大義名分があったから潜入することができたものですからね。
ひとりで積極的に見に行くのはちょっと照れくさい気もしますが……いや、いいんです。だって演劇、好きですから。
「東西南北方見聞録」に戻る
メインページに戻る