写真の力を信じて―私の戦争写真体験記―

 可能な限り印象付けをするために、自分でも「ちょっと大げさかな」という気がするタイトルをつけてしまいましたが、これは戦争『写真』体験です。幸いにして私は戦争を経験していません。祖父母からも、どんなものだったか詳しく聞くことはありませんでした。そのため私の戦争観とか平和観というのは学校の授業や「まんが日本の歴史」が始まりです。
そのあと終戦50周年を迎え(当時14歳)、修学旅行で広島の原爆資料館に行き……と順調に反戦思想が育っていったかと言えば、残念ながらそうではありませんでした。戦闘機や戦車や兵器などの勇ましさに酔い、「あの戦争は正しかった」という思想にかぶれていたこともありました。「自分の国を守るためなら戦争したって仕方がない」と思っていたこともありました。正直に懺悔します。それが私です。何とでも言ってください。

 でも、そんな私をギリギリのところで食い止め、今また反戦の立ち位置に引き戻してくれたのが、多くの記録写真でした。戦闘機や戦車や兵士たちの「格好良い」写真ではなく、実際に傷つき死んでいった市民たちの写真――それらはモノクロながら非常に鮮烈で、まるで自分がその場に居合わせて見ているような錯覚をするくらい強力な印象でした。

 そして現在では、

 「いざ戦争が起これば、一番辛い目に遭うのは一番弱い人たちなんだ」

 このような考え方を持つに至りました。それが私の戦争観です。これも正直な言葉です。

 政治の話はしません。そういうのはほかの人に任せます。右とか左とかも関係ないです。ただ、最近SNSなどで平和とか反核とかって少しずつ自分の言葉を発信する機会が増えてきたので、ネガティブな部分も含めてこの辺で一度まとめておこうと思って書いた次第です。あまり構えず、ざっと読んでいただければ幸いです。お気に召さないとしても「とにかく私はそう思ったから……」以上のことは何も出ませんのであしからず。
 

1.「写真記録 これが沖縄戦だ」



 これはワシントンの国防総省に保管されている沖縄戦関係の写真から著者(大田昌秀氏=元沖縄県知事・故人)が持ち帰ったあと体系立てて整理した本です。詳しい文字での説明書きは多くなく、ただ写真がどのような状況を撮影したものか、というのが短く書かれています。

 何分にも随分と前のことなので内容はほとんど覚えていないのですが、唯一はっきりと今でも思い出せる写真があります。

 それは数名の市民が手りゅう弾で集団自決をした直後の場面でした。ある一点を中心に吹き飛ばされ、傷つき倒れた人たちの写真が記録として残されているのを見て、沖縄戦というのは戦場そのものの激しさもさることながら、こんなことが起こっていたのか! ということを否応なく突きつけられて……あまりにも心が辛すぎて、最後まで読めなかったかもしれません。内容を覚えていないのは、そういうことなのかな。

 そういうこともあって、沖縄に対する気持ちは深いものがあります。沖縄の人たちが訴える平和という言葉は、とてもとても重く響くのです。
 

2.広島への原爆投下直後の写真



 これは明確に一冊の本で読んだわけではありません。実際に広島市の原爆資料館に行ったり、各地で行われた企画展の際に見たりしたものです。安易に転載していいものではないと思うし私も写真を撮ってきたわけではありませんが……語る言葉が見つかりません。ひどいとか惨いとか、そういう言葉でもまだ足りないくらいショックを受けました。

 一瞬のうちに熱線で焼かれ、爆風で割れたガラスが身体中に突き刺さった人々。後遺症で血を流す人々。影だけを残して消えてしまった人。その瞬間のまま永遠に止まった時計。等々、等々。……

 今年になって仙台の戦災復興記念館で行われた企画展でも見ましたが、決して慣れるということはありません。とにかく私は絶対に核兵器は廃絶するべきだと信じて疑いません。「やられたらやり返せ」じゃないんです。「やられる前にやれ」じゃないんです。お互い何もしなければいいんです。そうすれば初めから必要無いんですから。
 

3.「ライカでグッドバイ」他



 これは2016年に青森県立美術館で開催された、同県出身の戦場カメラマン・澤田教一さんの企画展を見たあとのことですね。だからずっと新しいものです。

 澤田さんの写真と言えば『安全への逃避』のタイトルで知られる……それこそ教科書にも載るレベルの有名な写真がありますが、他にも多くの写真が残っています。特にUPI通信社所属のカメラマンとして撮影したベトナム戦争期の写真が有名で、卓越した新聞報道(や文学活動・楽曲作曲)にたいして贈られる『ピューリッツァー賞』を受賞したのも、この本の表紙になっている『安全への逃避』でした。

 主な被写体は一般市民であり、また米軍兵士であり捕虜になった南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の兵士であり……と様々ですが、敵味方とか戦闘員と非戦闘員とかっていうのは政治的な切り分けにすぎず、また服装とか顔立ちは違っても、結局同じ人間同士じゃないかってことに行きつきました。

 その上で、「(自分と同じように)感情があり息をしている人間同士が殺し合いをする戦争というのは怖いし、そんなのするべきじゃない!」という考えに至りました。同伴していた米兵から銃を差し出され「お前もこれで戦え」と言われても「自分はカメラマンだ」といって愛用のライカを手放さなかったという澤田さんの話も影響を受けました。たとい自分が殺されても、決して誰も殺さない――そういう生き方があるのです。

 なお「他」とありますが、澤田さんに関する本は(手に入るものは)大体読み、さらに同時代の戦場カメラマンたちが撮影した写真集なども読み複合的に影響を受けたのでそのように書きました。ただ文章やテレビ番組も見て一番影響を受けたのが澤田さんなので、今回は代表的な一冊をチョイスして書きました。

結論――写真の力を信じて

1981年生まれの私が初めてリアルタイムで見た戦争は、1991年の湾岸戦争でした。モニター越しに移る建物にミサイルが命中して爆発する映像や油まみれの鳥が何度もテレビで流れ、戦争はビデオゲームと同じバーチャルなものととらえ、アメリカがやっていることが正義であり世界平和につながるものだと信じていました。

そのイメージが少しずつ、これまでに書いてきたような体験を経て変わってきました。

既に原爆投下・終戦から78年も経って、実際に被爆した人や戦争を経験した人も高齢化が進んでいます。語り継ごうとしても語り継ぐことができなくなってしまいますが、記録写真は永遠に残ります。それらの写真を見れば、あの時代に何があったのかを疑似的にでも体験することができるはずです。

写真を見た人は、痛みを感じると思います。心が苦しくなると思います。そのことをまた次の世代に語り継ぎ、それが繰り返されることで、平和が守られるものと信じています。だから私もこうして小文を書きました。黙ってたら何も変わらないですからね。

変わらないどころか、悪い方にドンドン突き進んでいく気がします。ミサイルとかドローンとか、どんどん血のにおいがしない兵器が進化していけば、痛みを想像することも殺し合いに恐怖することもできなくなります。そして冷徹な計算のもとに多くの市民が殺されます。仙台空襲も原爆投下も今のウクライナの戦争もそうです。「戦争を早く終わらせるために」そう言って無差別爆撃が行われ原爆が投下されたんですから。そんな計算づくで殺し合いをする世界は絶対に嫌です。

なので、私なんかでも自分のフラッグを持ち上げて振り回します。きっと誰かが気づいてくれると信じて……。

 世界平和に花束を。
 そして、この悲劇が二度と繰り返されないことを願って。




 最後に、文字ばっかりでそっけないので「みすみん」こと蘭茶みすみサンにご登場いただきました。私も堂々と自分の言葉で平和とか何とかって言えるようになったのはみすみんサンのおかげです。何だったら今回こうして自分の中の考えを全部まとめて発信しなきゃ! って思ったのはみすみんサンに啓発されてのことです。大切なことなので、その点は明確にしておきます。青い空は青いままで。メタバース!


蘭茶みすみサンのホームページ



2023年8月9日 佐藤非常口@仙台




総合案内へ戻る