EastendofEastend――宮古・とどが崎探訪 July,8,2007




 夢の時間は終わります。いつか、戻らなければなりません。

 ――でも、悲しいことはありません。
 また夢を見に来ればいいのですから。



 1.思い立ったが……

 私という人間は内陸生まれの内陸育ち、山に囲まれて育ったために海というのに並々ならぬ憧憬を抱くところがあるようです。海側にお住まいの方々には 「そんなもんかねぇ」などと思われることでしょうが、男ばかりの家庭で育った男が、友人に姉ちゃんか妹がいた時必要以上にドキドキするという事実もある ことですし、とにかく海が好きなんです。海が好き。懐かしいフレーズですね。

 で、海といえば太平洋か日本海か。日本海は男鹿半島、いわゆる秋田県になり、太平洋は同じ岩手県。その中でも宮古市にあるリアス式海岸、浄土ケ浜、そして 遊覧船……。

 遊覧船。これには浄土が浜をスタートしてぐるりと一周して戻ってくるパターンと浄土が浜から隣町へ色々と史跡を見ながら北上していく航路があり、このうち ぐるりと一周するパターンは人気で私も何度も乗ったことがあるのですが、一方の北上パターンはあまり人気がなく、朝8時半に出港する1便しかないというので (2便以降は団体予約があった時のみ)、2時間半くらいかけて疾走するしかないわけで、そうなるとなかなか大変があるのですが……

 「明日でなければダメなんだ。同じ日は二度とやってこない……」

 というわけで、7月8日の早朝5時半に発つことを決めたのでした。


 2.平均的速度超過行


 滝沢、まあ盛岡から宮古へ行くためには、国道106号線という道路をひたすら東へ東へと走ります。ざっと90キロちょい。本来であれば1時間半くらいで 着きます。もっとも、それはあくまでも理論値であることは言うまでもないのですが。

 道路としては片側1車線で、多少カーブがきつかったりアップダウンがあったりしますが、トンネルがボコボコ空いているので割合まっすぐに近いつくりになって います。そして車の量がとにかく少ないために、必然的に平均速度が高く、70〜80キロくらいで峠を越えて宮古まで行ってしまいます。

 もちろん、全員スピード違反です。某所には強力なオービスもあります。ところがみんながみんなそういうスピードで走っていて、そのためにそういう「流れ」が 出来ているので、かえって60キロで丁寧に走るとビュンビュン追い抜かれます。場合によっては80キロで走っていても抜かれ、そのまま見えなくなってしまいます。 一体お前ら、何キロ出してるんだ。

 ある意味、私のアルトはあまりパワーがなくてよかったのかな、と思います。負荷をかけすぎてオーバーヒートやエンジンブローになっては困りますが、そこそこの スピードで流すのにはちょうどよく、軽いものでちょっとハンドルに力をこめないとまっすぐ走らないところはありますが、それでもなかなか快適な旅行でした。

 もっとも、本来であれば60〜70キロくらいでのんびりクルージング、と行きたいのですが……まあよろしい。そういうわけで峠をいくつか越え、上ったり下ったり 曲がったりトンネルに入ったり時々信号で止まったりして、7時半ごろには目的地・宮古浄土が浜駐車場に付くことが出来たのでした。


 3.片道x2


 行き先と戻り先が同じ場所の一周ツアーであれば、チケットは1枚。当然ですね。ところが私が行こうとしているのは片道切符。隣町まで行くまでの分しかなく、 そのために片道切符を2枚買って、行き帰りで2倍2倍(値段が、一周ツアーと比べて)。通常こちらに乗る人というのは、移動をかねて船で……といった利用方法 なのでしょうが、私はあえて往復分のチケットを買い、積極的にいろいろなものを見て回る決意をして、乗船開始まで数枚の写真を撮り、時間になったらばそそくさと 乗り場へ向かったのでした。

 で、遊覧船。乗員は海軍のごとききちんとした制服を着て、キビキビと団体客を船に誘導していました。私は団体客ではなく個人客なので、とりあえず誰にチケットを 見せてどの船に乗ったらいいのか、やや挙動不審になりながら団体の列に紛れ込み、セーラー服を着たお姉さんに案内されながら団体客とは別な船に乗りました。

余談ですが、そのお姉さんのセーラー服姿がすごくかっこよかったのですが、セーラー(=水兵)の制服を着ているだけなのだから当然すぎるほどの格好なわけで、 たぶん見慣れないから少しドキドキしてしまったのでしょう。様々な意見があろうかと思いますが、一切の誇張や脚色をせず、あえてここは素直な感想を残すこととします。

 とりあえず乗客は私ひとり……まあ、乗船開始と同時くらいに乗り込んだから、一番乗りといったところでしょう。朝一番だからそれほど多くないにしても、これから ぽつぽつと来ることでしょう……などと思い、船のデッキに立ち、空を飛ぶウミネコを見上げながら「ありゃウミネコだ……」などとジョジョの奇妙な冒険のブチャラティ の真似をしたりして待っていると……ブォ〜。出港。

 えっ?

 結局のところ、本当に私ひとりしか乗客がいないのですが、とりあえず定時なので出発してしまったのでした。貸切ですか? ワッセローイ。てなもんでテープで 流れるガイドに反応して史跡を眺めたり、あまりにもヒマしている乗務員さんのコメント不能な笑い話にあわせて内心ヒヤヒヤしながら笑ったりウミネコに餌を上げよう と思ったらうまく食べてもらえなくて半分くらいパンを残してあきらめたりしながら往路が終わりました。

 復路では団体さんが、私が座っていたデッキにどかどかとやってきて、アルコール類を飲用し始めたのでたまらず客室に退散。といってもわざわざ高いお金を支払って 黙って景色を眺めるのはもったいない。つって、それまでの28−80mm標準レンズから75−300ミリ望遠レンズに付け替え、今度はウミネコをメインに撮影 することに。

 今回の撮影練習の目的は「動いている被写体を追いかけて撮る」ということ。そういうのならキャノンでしょう。やかましい、おれはミノルタじゃい。1/4000の 高速シャッターは伊達じゃねえんだよ。つって、EOS7で記念写真を撮られている年配の方をちょっと、ちょっとうらやましいなー、なんて横目で見ながら連写、連写!

 私以外の大勢の団体客が来ていることがうまい具合に働きました。皆様が餌付けをしてくれるから、ウミネコがものすごいスピードで横を飛びますので、合焦時間が 遅いながらもどうにかシャッターを切ることが出来ました。
 
 その一方で私も、餌がまだ残っていたのでとりあえず上げることに。少し大きめにパンをちぎり、船の横に突き出す。そうすると目ざといウミネコが追いかけてくる ので、距離を見計らって、ポイッ! そうするとうまく空中でぱくり、と食べてくれるので、私も得意になって食べさせて、そうするといつのまにか席に座っていた お客さんまでもが私の餌付けショーを楽しんでおられたようで、ウミネコがうまく食べた時には歓声を上げていました。いや、私じゃなくてウミネコに感嘆していたん だとは思いますが。

 というわけで、ストックしていたフイルムの大半を費やしてウミネコを撮影しまくりました。ピンボケもあるでしょうし、そもそも切れてしまっているのもあること でしょう。3〜4枚上手に撮れてれば御の字といったところなのですが……

 とにかく、支払ったコストに見合う、あるいはそれ以上のものが得られたのかなと思いました。ちなみにセーラー服のお姉さんは戻ってきた時にはいませんでした。 ぜひ写真を一枚……なんてことは申しません。ただ、船に携わる人がしかるべき服を着ている。それだけなのですから。


 4.積極的に


 思ったよりも(少しだけ)早く終わったので、陸地の方を歩きました。海水はまだ少し冷たいようですが、親子連れの人たちが磯遊びをしていました。また、モリを 携えて狩りをしている人もいました。少しの間見ていましたが、「取ったどー!」……とは……言うわけないですよね。

 とりあえず絵葉書にもよくなっている場所から携帯の方で写真をとり、それをメールして、森永牛乳を飲み、ちょっと東屋で一休み。

 私のかばんにはフイルムやスペアのレンズのほかに漫画がたくさん入っており、「旅先でいい気分で漫画が読みたい」という一心で「彼女のカレラ」とか「私は加護女」 とか「ARIA」とかを入れているのですが、たいていの場合ゆっくり漫画を読んでいる時間があったら歩くか走るか写真を撮るかしているために、ただのウエイトにしか なっていないのですが、先日龍泉洞に行った折には、(ご飯が出てくるまで)「ARIA」を読み、日常から少し離れた世界であの「すこし・ふしぎ」系漫画を読むことで、 よりよくその物語の世界に入れたという実験結果があったので、今回も晴れた日、海岸を望みながら「ARIA」第2巻を読む。BGMは菅野よう子 「信長の野望 覇王伝」 でした。

 …………

 …………

 …………

 夢みたいなことを、限りなく100パーセントに近い純度で思ったりできる時間でした。この漫画が手元にあること。この音楽が耳元から聞こえること。今ここに いるとこと。すべてが「よかった」と思いました。あーすればよかった、とか、こーすればよかった、といったことを一切思わない、素敵な時間でした。


 5.Eastend of Eastend


 今日来ている宮古市というのは本州最東端の町です。本州最東端ということはある意味極東の極東。厳密な意味で最東端といえば、小笠原諸島あたりになるのかも しれませんが、実際に一般人が行くことはほとんど不可能に近いので、とりあえず本州で……ということであれば、ここが最東端となりますね。宮古から車で数十分 程度かかります。

 なお「とどがさき」はこういった表記(魚へんに毛)と なりますが、私のHTMLエディタではどうしても表記できないので、ここから先もひらがなで表記させていただきます。

 浄土ヶ浜からのアクセスは、えーと、国道45号線を釜石方面に向かい、海沿いに延々と走って津軽石交差点で左折していきます。基本的には看板の通りに進んで いけば大丈夫ではないでしょうか。しかしながら県道とは謳っているものの、えらく狭いし急カーブが多いし、見通しも悪くて時々対向車が来ると驚いて海に落ちそうに なりますので、お気をつけください。

 一部で分岐があり、国土交通省(運輸省時代のものだとは思いますが)の案内板とそうではない案内板で、とどヶ崎灯台へのアクセスが違っていますが、 どちらでもいけます(右折して直接行くコースと、直進して月山経由で行くコース)。しかしながら月山経由のコースはやたら狭いし、何より起伏が激しくて上りは 息切れ、下りはジェットコースターでヴェーパーロック現象を引き起こしかねず、とりあえず灯台に行きたいという場合はあまりおすすめしません。私の場合は間違えて 行ってしまったために、なかなか大変でした……。

 まあ、そんなこんなで遠回りをしてようやくとどヶ崎灯台への入り口に到着。フイルムも残り少ないし、とりあえずカメラひとつでいいか。てなもので標準レンズと 本体だけをもって上る。

 ……10分後、有酸素運動が苦手の私は息も絶え絶えになりながら傾斜のきつい登山道を登っていました。一体どれだけあるんだ。そう思っていると案内板がありました。


 とどヶ崎灯台まで あと3.3km

 
 ……行くか、戻るか。今ならまだ戻る方が早い。でも、次にいつここに来られるかわからないのだし、とにかく行ってみよう。今日でなければダメなんだ、同じ日は 二度とやってこない……。

 そういうわけで割と本気のハイキング、ひたすらに山道を歩き続けました。500メートルおきに道しるべがあり、それを目安にがんばって歩き続けること数十分。 それまでは生い茂る木々の隙間から見ていた太平洋が、いよいよパアッと何のさえぎりもなく開きました。ついにとどヶ崎、東の果てにたどり着くことが出来たのでした。

 最東端は岩場と灯台で構成されていました。今でこそ、この灯台は無人化されていますがかつては人がいて、さらにその昔は人が住み込みで管理していて、そのことが 映画にもなった、ということで、なんだかすごい感慨深い気持ちでした。

 私は年に2〜3回くらいしか海に来ない人間なので、灯台がどれほどありがたいものなのかわからないのですが、船に乗る人々にとってはこの灯台というのは何よりも 大切で、希望であるという話を見たり聞いたりしたことがありました。誰もいなくても、とにかく灯台は光り続ける。もちろん私が行ったのは真っ昼間ですし、光ってる わけはないのですが、恐らく今夜も海を照らし続けるのだろう……などと想像しながらまた帰り道をたどったのでした。ストップウォッチで計ってみたら40分くらいで した。だから、私の歩くスピードは……えーと……


 6.平均的速度超過行U


 やっぱり今朝は、早朝だからあんなに速いペースで走ってこられたんだろうなー。などと思っていたら、帰りも速いじゃないですか。数台が連なるような形だった んですが、そのいずれもが70〜80キロペースで疾走しているのだからたまらない。しかも来る時は気づかないくらいの上り坂も、下り坂になると結構恐くて、 気持ちスピードを落としてゆっくり帰ってきました。それでも厳密には、法定速度以上のスピードだったのですが……。


 7.総論


 ウミネコの餌付けに使うパンは、パンですから人間が食べても大丈夫ですが、海草が入っているくらいで特に味付けはされていないので、決しておいしいものでは ありません(アンパンの、あんこの入っていない部分だけで構成されていると思っていただければと思います)。今回改めてそのことを体感してきました。そもそも、 どうしてお前が食べるのか、というと、餌付けしようと思ったらウミネコが一羽もいなくて、そのまま海に捨てるのも……と思ったからです。

 いやウミネコパンの話はいいんです。

 私はそれほど積極的に泳ぐことが好きな人ではないので、景観とか、レストハウスの雰囲気とかを楽しみ、ついでに写真を撮る……ということが目的だったのですが、 考えてみれば10年前にもこうして一眼レフを携え来たことがありました。その時はキャノンのEOS650だったかな。高校の写真部の備品でした。

 思えばその時初めて、本格的な写真の撮り方といったものを当時の顧問の先生から教えてもらいました。そうするとある意味、この浄土ヶ浜は私の写真の原点と いったところでしょうか。何せココで撮った写真が後の高校文化祭(文化系インターハイ)でそこそこいい評価をもらったりしたのですから、そういう意味でもちょっと 感慨深いところです。

 10年前と現在では、カメラも違いますし、今いる立場も違います。あのころと同じように、というのはもとより無理な話でしょうが、それでもやはりこの場所は、 ちょっと特別な場所のようです。

 今年の夏は、まだ始まったばかり。もう一度、あるいはさらにもう一度、この町に来てみたい。もう一度、極楽浄土のような景観の中で夢を見てみたい。――と、 また日常の中に戻った今でも思っています。



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