片方向の時代から双方向の現代へ――
私のWeb活動報告書





1. 手作りホームページ(2000-)
――片方向通信の時代

 今年(2023年)の4月のド早朝に、こんなツイートをしました。
 そう、私がインターネット上で発信をするようになったのは2000年代でした。

 「とにかく自分の好きなことを発信すればいい」

 何を書けばいいのかわからない私に対して、先達はそのようにアドバイスをしてくれました。実際その頃よく見ていた他の人のホームページというのは、アニメにせよ何にせよ、皆さんが自分の言葉で自分の大好きを発信していました。時々オリジナルイラスト(または二次創作)を掲載している方もいらっしゃいましたが、ナローバンド時代なので、全体像が表示されるのに1分くらいかかることもありました。

 それで私もすすめられるがままに、自分が興味のあるもの(ゲームとか)を手当たり次第に紹介したり、日々の日記めいたものやエッセイめいたものを書き散らしたりしていました。分量は今よりもさらに多めです。しかも全体の95%以上がテキストでした。


(当時、同人誌を書いていた先輩にお願いしてHPで使わせていただいた画像です。クリックで拡大します。好きな作家に『澁澤龍彦』と書くような文学女子でした)

 書き始めた頃は20歳そこそこでしたからね。もちろん今からしてみれば、決して良いものではありませんでしたが、それでも「誰かが読むこと」を前提にして書いていました。だから、少しずつ文章はうまくなりました(当社比)。

2.ブログはじめました(2005-)
――ちょっとだけ双方向通信の時代

 2005年からブログを始めました。ブームだったので乗っかってみた感じです。
 
 目標としていたのは「新聞のコラムみたいなの」でした。日々の何気ない身の回りのことを丁寧に、それでいてちょっぴり面白い読み物……実際そういうのが大好きだったので、自分でも書いてみたいと思って、書き続けました。

この頃は割と決まった時間に出社したり退社したりする会社に勤めていたので、ブログを書くこともルーチンのひとつとして、毎日書いていました。朝起きて、顔を洗ったらPCに向かう、みたいな生活をしていたのですが、結構それなりに文章は書けていた気がします。今の「おはようござりす」Tweetみたいなものですね。

その後転職して不規則な勤務になって(さらに心身の調子を崩して)からは、更新頻度も減りましたが、結構よい文章練習になったと思います。

あと、ホームページからブログに移行してからは、記事に対する「コメント」も時々もらえるようになりました。それまでの「メール」とか「掲示板」よりも直接的に記事に対する感想などをもらえるようになったのは励みになりました。

とはいえ、その頃はまだ、それほど意識していたわけではありませんでした。無いのが当たり前、むしろあったら「何があったんだろう」とドキドキする…そのくらいの頻度でした。

発信! 受信! また発信!?(2022-)
――非リアルタイム双方向通信の時代

 Twitterで本格的に投稿を始めたのは、仙台に来てからのような気がします。だから、ここ1年ちょっとくらいですね。

 これも、「自分もいわゆるSNSってやつをやってみよう」と思って始めてみたものです。何だかよくわからないけど、とにかく身の回りで起こったことを書いて投稿すればいいのかな、って。

 そういう感じで始めたので、相変わらず「反応がなくて当たり前」……という感じでしたが、本格的にハマったのは、このあたりだと思います。


 そりゃ建前では「誰も読んでくれなくたっていい」とか言うこともありますけど、本当にそういう気持ちで書くのなら初めから公開しません。結局それは「誰か読んで!」という希望のカムフラージュなんです。

 実際、このイベントに参加(観客として会場に足を運んだ)して、見たことを見たままに発信しました。

…そうだ、いま思い出した。確か会場で「ハッシュタグに#地下道3150とつけてツイートしてね」というのを見て、素直にその通りにやったんです。そうしたところ「いいね」が増えたり、リツイートもしてもらって……「これは面白いぞ」と味を占めちゃったんですね。って、それもあるんですけど、それよりも大事なことに気づいたんです。

すなわち、

「Twitterでみんなと楽しいを共有できる」

そして、

「楽しいを共有することで、みんなと繋がれる」

ということでした。少なくとも自分でそう思えるということは、私の心を大きく開くきっかけとなりました。パレードを憎みながらも実は憧れた影男(※)、世の中全てを傍観しようとするスタンスから、パレードの一員になろうと決意し、そのために努力するようになったのです。

熱さで伝える、たくさん伝わる(2023-)
――直接対話/リアルタイム双方向通信の時代

そんな私の努力の集大成、大きな大きな晴れ舞台となったのが2023年3月19日のメディフェスでした。

 この時は、「書いて発信する」のではなく「話して発信する」ことができたのが、私にとっての大きな進化でした。実際どれほど伝わったのかはわかりませんが、少なくとも熱さは伝わったと思います。

ただし、ここでいう「話して発信する」というのは、声を出して発信する……ということに限定されるわけではありません。要するに同じ時間を共有しての、リアルタイムな意思疎通、言葉のやり取りという意味です。メディフェスの時は声で発信しましたが、今日はチャットで言葉を発信しました。

今日?

ここで時間軸はようやく現代、2023年6月15日までやってきました。

 不肖佐藤、今日初めて「youtubeの生配信中にチャットで発信する」ということをやってみたんです。それが私にとってはカルチャーショックだったんです。

 メタバースアイドルでVtuberの『蘭茶みすみ』さんのyoutube生放送を視聴していた時のことですが、画面の中から呼びかけているみすみんサンに対して、何か伝える方法はないか!? と思い、とりあえずチャットに文字を入力して送信したところ…それを画面の中のみすみんサンが見てくれて、「私に」呼びかけてくれたんです。



 これは、嬉しかったですね。そして、衝撃でした。

 片方向通信(ホームページ、ブログ)から非リアルタイム双方向通信(ブログ〜Twitter)になり、ついに直接対話、リアルタイム双方向通信(youtube生配信+チャット)にたどり着いた! ようやく私も2023年の人間になれたんだ!

 具体的には、そんな感じです。これまでの23年くらいの自分史が一本の線になって、それを光の速さでリプレイして、ここまでたどり着いたんだ…と。共感してもらえるとは思いませんが、とにかくそんな風に思いました。これ、かなり忠実に言葉にしています。

 また熱くなっちゃって……と思われるかもしれませんが、私にとっては、そのくらい大きな体験でした。そんな今日の体験をずっと残したくて、記事を書きました。

やっぱり私はつながりたい
――おわりに

 それまで独りで風船に手紙をつけて飛ばしたり、ボトルに手紙を詰めて海に流したりしていた私が、キャッチボールをしてくれる相手を見つけられたわけですから、それは嬉しいに決まっているじゃないですか。私だって、誰かに理解してもらいたくて、誰かとつながりたくて、20年以上もこういうの、やってきたんですから。

 今日のことを短くまとめれば140文字で足りるのですが、私のインターネット遍歴のことは「いつかまとまった文章を書きたい」と思っていたので、全部まとめて書いてしまいました。時系列で書いたのですが、全ては私個人に拠るものなので、共感はしづらいものかと存じます。

 それでも内向的人間が書けることといえば、結局、自分のことしかないので……そして、それは私が発信しないと永遠にわからないことなので、最低限読みづらい部分を修正して公開します。

 何もなくても長く続けていれば、これだけの文章は書けるんです。


2023年6月15日 佐藤非常口@仙台



(※ 筋肉少女帯『パレードの日、影男を密かに消せ!』より引用)


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